映画『キングダム』を観て、とても面白かったのですが、覚えにくい漢字の名前の人物が沢山登場してくるので、関係を整理してみたいと思いました。ごちゃごちゃした情報を見ると、私は、整理整頓してみたくなってしまいます。
以前、カメラの英文カタログの編集を長年やっていたのですが、複雑な情報を、限られた紙面にバランスよく盛り込むのが仕事でした。情報が整然と配列され、写真やイラスト、文章が美しくレイアウトされた作品を作ることに快感を覚えたものです。
映画『キングダム』の1と2はテレビで観て、3はつい最近、映画館で観ました。2を観た後に、相関図を作りたいなと思っていたのですが、すでに3が公開されていたので、これを観終わってから作りたいと思っていたのです。
この映画は、コミックを実写化した作品で、コミックを読んでいる人にはこの先の展開もわかっていますが、私はコミックを読んでおりません。従って映画の情報のみをベースに相関図を作っています。
なお、映画をまだご覧になっていない方には、ネタバレ的な部分もありますので、映画の内容を知りたくない方は、読まれないほうがよいかもしれません。映画を見てから、もう一度内容を再確認したい方にご参照いただけるのがよろしいかと思います。
シリーズ3の後もストーリーはさらに進行していくので、相関図と言っても、シリーズ1、2から3が終わった時点でのものになります。この後、新たな人物が登場したり、人間関係が変化したりすると思うので、この相関図が有効なのは、4が公開される以前までということになりますね。
この相関図を作るにあたって、登場人物の人間関係をバランスよくレイアウトしたいと考えました。中央部には、この映画のストーリーの主役である信と嬴政(えいせい)、漂(ひょう)を配置し、その下に河了貂(かりょうてん)と羌瘣(きょうかい)を並べました。
右側には、敵対する相手を、配置しました。シリーズ1の王弟・成蟜(せいきょう)とその一派、シリーズ2の蛇甘平原の戦いで敵対する魏軍、そしてその下にシリーズ3の馬陽の戦いで敵対する趙軍を配置しました。
画面左側には、秦の中枢からは少し離れた位置にいる登場人物を配置しました。秦国の中枢にありながら、微妙な立場の呂不韋(りょふい)、山の民とそのリーダーの楊端和(ようたんわ)を左端に置きました。山の民は地理的にも西方の山岳地帯に拠点を置いています。飛信隊のメンバーも左下にまとめました。
キングダムには数多くのキャラクターが登場してくるので、この相関図に入れられなかった人物も数多くいます。人選に関しては、いろいろとご意見もあろうかと思いますが、ご容赦願います。(誤字や情報の間違いがあれば、ご指摘ください)
登場人物と同様にわかりにくいのが、国の名前と位置関係です。映画の冒頭で、物語の開始の時代が紀元前255年と示されています。そして中国は7つの国に分かれているという説明が入ります。
この物語が開始する数百年前から中国は多くの国が乱立し、春秋戦国時代という時代が続いていました。国の大きさや位置も、連続的に変化してきています。
細かい地形は無視して、この時代の7つの国の関係を図式かしてみたのがこちらの図になります。
キングダムは、秦の国の話です。中国では海から最も遠い西の外れに位置する話ですが、映画の1は秦国内の内乱の話です。西方の山の民も登場してきますが、クライマックスは首都の咸陽宮での戦いになります。
映画の2は蛇甘平原での魏の国との戦い。そして3は馬陽での趙の国との戦いです。最終的には秦がすべての国を打ち破り、中華統一を成し遂げ、嬴政(えいせい)が秦の始皇帝となるのです。
映画の3では、趙の国の闇商人、紫夏(しか)のエピソードが語られます。趙の国で人質となっていた嬴政(えいせい)を、趙から秦に送り届けるのが紫夏です。また、秦の呂不韋(りょふい)も、元々は趙の商人で、嬴政(えいせい)の前に秦の王になる子楚が趙の人質になっていた頃から援助することで秦での地位を確保するのです。「奇貨居くべし」という古事成語は呂不韋に起因しています。
実は、春秋戦国時代は、個人的には大好きでした。中国の話は、宮城谷昌光さんという作家が、この時代の小説をずっと書いていて、40代の頃から読みあさっていました。こちらが、その頃読んだ、宮城谷昌光さんの春秋戦国時代(もっと昔の時代の話もありますが)の本の一部です。
キングダムの時代に一番近い作品は、『奇貨居くべし』ですね。呂不韋の話ですが。大半が『キングダム』の物語よりも昔の話ですが、40代から50代の頃、わくわくして読みました。『キングダム』で中国古代、春秋戦国時代に興味を持たれた若者には、宮城谷昌光さんの本はお薦めです。
『孫子の兵法』も、孔子の『論語』も『キングダム』の時代よりも250年くらい前の物なので、『キングダム』の時代にはすでに古典となっていたんですね。しかし、史実では、嬴政(えいせい)が始皇帝になった後、紀元前213年頃に「焚書坑儒」という言論統制政策が行われ、書物が焼き払われ、儒学者を含む学者を生き埋めにしてしまいます。巨大な国家をまとめていくためには言論統制も必要だったんですね。
始皇帝は、法で国家をまとめ、万里の長城を築き、貨幣や度量衡や文字を統一するという画期的な業績を残します。10年以上前に、仕事で上海に出張に行くことが多かったのですが、上海の上海博物館に何度か訪れました。そこで始皇帝が定めた、長さ、重さ、体積を厳密に計測する器具が展示されているのを見て、感動したのを思い出しました。
中華を統一するという誰もなし得なかったスケールの大きな業績もあるのですが、寸法や重さなどの細かい部分の統一にも厳密さを求めていたというのはすごいです。
秦は中華を統一してから15年ほどで滅びてしまうのですが、万里の長城や、兵馬俑(へいばよう)の遺跡は、今の時代も中国を代表する観光地ですし、郡県制などの国家統治のシステムなども今の時代に通じるものがあります。
『キングダム』の嬴政(えいせい)がやがて中華統一という夢を実現し、始皇帝となっていくという結末を、私たちはすでに知っているのですが、次から次へと訪れる困難を何とか克服していく姿に私たちは感動を覚えるのですね。
以前、カメラの英文カタログの編集を長年やっていたのですが、複雑な情報を、限られた紙面にバランスよく盛り込むのが仕事でした。情報が整然と配列され、写真やイラスト、文章が美しくレイアウトされた作品を作ることに快感を覚えたものです。
映画『キングダム』の1と2はテレビで観て、3はつい最近、映画館で観ました。2を観た後に、相関図を作りたいなと思っていたのですが、すでに3が公開されていたので、これを観終わってから作りたいと思っていたのです。
この映画は、コミックを実写化した作品で、コミックを読んでいる人にはこの先の展開もわかっていますが、私はコミックを読んでおりません。従って映画の情報のみをベースに相関図を作っています。
なお、映画をまだご覧になっていない方には、ネタバレ的な部分もありますので、映画の内容を知りたくない方は、読まれないほうがよいかもしれません。映画を見てから、もう一度内容を再確認したい方にご参照いただけるのがよろしいかと思います。
シリーズ3の後もストーリーはさらに進行していくので、相関図と言っても、シリーズ1、2から3が終わった時点でのものになります。この後、新たな人物が登場したり、人間関係が変化したりすると思うので、この相関図が有効なのは、4が公開される以前までということになりますね。
この相関図を作るにあたって、登場人物の人間関係をバランスよくレイアウトしたいと考えました。中央部には、この映画のストーリーの主役である信と嬴政(えいせい)、漂(ひょう)を配置し、その下に河了貂(かりょうてん)と羌瘣(きょうかい)を並べました。
右側には、敵対する相手を、配置しました。シリーズ1の王弟・成蟜(せいきょう)とその一派、シリーズ2の蛇甘平原の戦いで敵対する魏軍、そしてその下にシリーズ3の馬陽の戦いで敵対する趙軍を配置しました。
画面左側には、秦の中枢からは少し離れた位置にいる登場人物を配置しました。秦国の中枢にありながら、微妙な立場の呂不韋(りょふい)、山の民とそのリーダーの楊端和(ようたんわ)を左端に置きました。山の民は地理的にも西方の山岳地帯に拠点を置いています。飛信隊のメンバーも左下にまとめました。
キングダムには数多くのキャラクターが登場してくるので、この相関図に入れられなかった人物も数多くいます。人選に関しては、いろいろとご意見もあろうかと思いますが、ご容赦願います。(誤字や情報の間違いがあれば、ご指摘ください)
登場人物と同様にわかりにくいのが、国の名前と位置関係です。映画の冒頭で、物語の開始の時代が紀元前255年と示されています。そして中国は7つの国に分かれているという説明が入ります。
この物語が開始する数百年前から中国は多くの国が乱立し、春秋戦国時代という時代が続いていました。国の大きさや位置も、連続的に変化してきています。
細かい地形は無視して、この時代の7つの国の関係を図式かしてみたのがこちらの図になります。
キングダムは、秦の国の話です。中国では海から最も遠い西の外れに位置する話ですが、映画の1は秦国内の内乱の話です。西方の山の民も登場してきますが、クライマックスは首都の咸陽宮での戦いになります。
映画の2は蛇甘平原での魏の国との戦い。そして3は馬陽での趙の国との戦いです。最終的には秦がすべての国を打ち破り、中華統一を成し遂げ、嬴政(えいせい)が秦の始皇帝となるのです。
映画の3では、趙の国の闇商人、紫夏(しか)のエピソードが語られます。趙の国で人質となっていた嬴政(えいせい)を、趙から秦に送り届けるのが紫夏です。また、秦の呂不韋(りょふい)も、元々は趙の商人で、嬴政(えいせい)の前に秦の王になる子楚が趙の人質になっていた頃から援助することで秦での地位を確保するのです。「奇貨居くべし」という古事成語は呂不韋に起因しています。
実は、春秋戦国時代は、個人的には大好きでした。中国の話は、宮城谷昌光さんという作家が、この時代の小説をずっと書いていて、40代の頃から読みあさっていました。こちらが、その頃読んだ、宮城谷昌光さんの春秋戦国時代(もっと昔の時代の話もありますが)の本の一部です。
キングダムの時代に一番近い作品は、『奇貨居くべし』ですね。呂不韋の話ですが。大半が『キングダム』の物語よりも昔の話ですが、40代から50代の頃、わくわくして読みました。『キングダム』で中国古代、春秋戦国時代に興味を持たれた若者には、宮城谷昌光さんの本はお薦めです。
『孫子の兵法』も、孔子の『論語』も『キングダム』の時代よりも250年くらい前の物なので、『キングダム』の時代にはすでに古典となっていたんですね。しかし、史実では、嬴政(えいせい)が始皇帝になった後、紀元前213年頃に「焚書坑儒」という言論統制政策が行われ、書物が焼き払われ、儒学者を含む学者を生き埋めにしてしまいます。巨大な国家をまとめていくためには言論統制も必要だったんですね。
始皇帝は、法で国家をまとめ、万里の長城を築き、貨幣や度量衡や文字を統一するという画期的な業績を残します。10年以上前に、仕事で上海に出張に行くことが多かったのですが、上海の上海博物館に何度か訪れました。そこで始皇帝が定めた、長さ、重さ、体積を厳密に計測する器具が展示されているのを見て、感動したのを思い出しました。
中華を統一するという誰もなし得なかったスケールの大きな業績もあるのですが、寸法や重さなどの細かい部分の統一にも厳密さを求めていたというのはすごいです。
秦は中華を統一してから15年ほどで滅びてしまうのですが、万里の長城や、兵馬俑(へいばよう)の遺跡は、今の時代も中国を代表する観光地ですし、郡県制などの国家統治のシステムなども今の時代に通じるものがあります。
『キングダム』の嬴政(えいせい)がやがて中華統一という夢を実現し、始皇帝となっていくという結末を、私たちはすでに知っているのですが、次から次へと訪れる困難を何とか克服していく姿に私たちは感動を覚えるのですね。
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