神様は、他人に生まれ変わるのに、人の記憶は残さない。
人の魂には、記憶が無い。
魂とは、方向、悟りて得た、性質、本性の在り方を示すのみ。
そこに記憶は無い筈です。
胎内記憶を宿すと称する、親を観ると、スピチュアルを学んだ人が多く、赤子から、以前、お腹に宿った瞬間から、言い聞かせが多すぎる。
お腹に宿ってから、教育するも、道でありまずか、それを度を越して過ぎれば全ては毒となるが、自然であります。
胎内記憶とは、人の妄想なのでしょうか。
否、確かに存在される。
前世の記憶が魂に深く根ざしておりますが、それは、脳の記憶に宿っているというよりも、感性感覚。
それは、不思議でもなんでもなく、母の胎内に宿ってから、脳が育って来たならば、その感覚を掴むのかと。
また、大日月神示を示されておる方は、胎内記憶とは霊による憑依の可能性もあると述べられておらます。
まさに、人間は生まれてから、すべからく、自然、環境、先祖、カルマ等等に、よって思想か定められる、悪癖があるのは、確かです。
しかし、胎内記憶や夢で観た、津波、天変地異などの予言類は、悪しき存在からの憑依であるのかも、知れません。
未来を予知する胎内記憶等には神様は働きません。
自然災害とは、地球の働きあり、また、人心(霊界)の悪意が積もり、溜まり、滞る故に、天は荒れ、地は揺れ、人も更に、悪意を育てる故に、起きるのでございます。
人は、天と地の間にあり、実に地球経綸の主体であり、天地運行のカナメ(要)となる働きが、あるのですが。
しかし、世界多くの人は、そこまで意識できておりません。
オカルトスピチュアル好きな方は、ハイヤーセルフ、守護霊云々が導き、また、悪魔、悪霊云々が邪魔をするなんて、想念しております。
故に、人の妄想を更に作るのが、スピチュアルや宗教なのかも知れません。。
故に、全ての蒙昧(宗教的観念)を打破すべきであると考えます。
人が自らを正義として、自分は、間違いが無く、正しいからと善悪、天使悪魔とタテワケル(自然には善悪は皆無)から、それが、悪因となり、カルマを造り、真善と真逆に働くから、宗教間の争いは絶えません。
扨て、鎮心経と云うお経があります。
私は、三十年前ぐらいに、当時銀座にあった東京総院にて鎮心経の存在を教えてもらいまたした。
当時の事務局の方が仰るには、「白光真宏会の幹部の方が、その宗教では大々的な催し事(神事、修行)をすると、結果、事故が必ず起きて絶えない、しかし、鎮心経を催し事の前に誦えると、事故が起きる事が無くなった。」
今の白光真宏会は知りませんが、創設時の教祖も、その養女も、共に、老祖の弟子でありました。その由縁により、幹部の方も老祖の弟子になられた方も多かったと考えます。
鎮心経。
老祖の弟子のみが誦える事が許され、世の刧劫を化する事が可能。
故に絶大な効果を発揮する為に、戯れで誦える事は許されません。
しかしこれは、道院に無断にて、書籍になりました。
私的には、鎮心経とは、老祖の真体でもあり、先天坐、後天坐ともに、坐による静寂を悟る者ならば、誠こころにより、誦える資質があると考えます。
また、一方、正当な道院の教えでは、道院から生まれた、経、咒は、老祖の弟子(修方)のみが誦えることを許され、修方以外の方は、誦えるのは許されておりません。
その理由は、一般の人が咒を挙げると神を穢すとも、神様に不敬になるとも言われております
道院の咒や、経、全てが、神伝(フーチ)による由縁であるからです。
確かに、かなり昔、深〇〇山さんが、強🔵と言う書籍にて、道院の咒を無断で公開されました。道院関係者からそれは、まずいと言われた、〇〇さんは、あわてて、香港総母宗に呈判(神様にお願い)し、お金を寄付して、理由を述べて、認めてくださいとお願いしましたが、却下。
「求修(老祖の弟子)もせず、また、誠のなんたるかを明らかにしない、一般の者が、どうして咒を信じ、誠によって感じることが出来るのであろか………たとえ、求修して長年にわたり、誠をもって咒を誦し、劫を化する事が出来る者であっても、多くの人がこの原理に不明であって、先天の大道を宣べ明らかにするに至っては更に論ずるまでもないことである。」
ちなみに、強🔵と言う書名も、「宇宙の主神に祈祷するのであるから、「強」の字を用いるのは宜しく無い。「誠運」と改めるべきである」とおっしゃっておられました。
扨て、日本道院紅卍字会とは、日本人には、厚い夙縁が無い限り、見向きもされません。
中国式のお祈り(九拝礼)がどうしても馴染めないと言われる方もおりました。
日本の神社のように誰でも気軽に参拝出来ないようです。
昔、大本教と提携していた、時代は、大本皇大神、即至聖先天老祖で、大本人が道院に来ても、神道式で祝詞を唱えたり、される方もおられたようですが、それは、出口聖師存命の間のみでしたし、日本人には、神社のように、親しみが全くありません。
また、道院日本紅卍字会自体も、修方以外の方には、公にできない事も多くあり、修方、老祖の弟子と成りたければ、東京総院まで、足を運びその上で、四誓顔の儀式を行わなければなりません。
また、フーチ(神示)の時代は終わり、自らの責務で物事を為される事を老祖がのぞまれておられます。
故に宗教にありがちな、御陰が貰える信仰でもありません。
坐と誦経と慈善活動を行うだけです。
言わば、神様を頼らずに、人自らが、その誠意により、道(坐道)を歩まねばならないのです。
故に、多くの日本人には広まりません。
その中で、先天坐の指南書「生きる意味と方法」や、「鎮心経」が道院という、組織に関わらず、世に出回ったのは、日本神界の働きが多少あったとも考えます。
地球には、人が生誕してから、人の思いが刧劫となり、積もっております。
人の歴史を見れば明らかで、お互いに争い、殺しあった事実があり、善き歴史もありますが、殆どが、奪い合う戦争の歴史であります。
人の思念か清からず、悪しき意図が増えて、それがカルマとなり、自然破壊も含めて、それが積もり、地球が苦しんでいるのであります。
その刧劫を祓い、清める為の法は、神国日本には、昔から降ろされております。(皇室の祭祀、古神道等)
また、出口聖師の「霊界物語」、道院での「太乙北極真経、午集正経」(これも修方が道院内でしか、誦えることを許されておりません)が活気的あります。
霊界物語などは、誰でも買え、誰でも音読すれば、効果があるとされます。
物語が長過ぎるため、根気が必要でもあります。(もしかしたら、必要な一巻を臨機応変に唱えれば善いのかも知れませんが)
故に、ここで鎮心経が道院に関係無く、世に出る、奇跡も、解る人には、判るかと思います。
言わば、世界と地球は、危機に瀕死ていると言う事であります。
ここで、鎮心経の書籍が発行(十年前)された、正否は、問いません。
ただ、坐や瞑想により、自身を回光し、誠心にて、鎮心経を誦えれば、自分の為には、なりませんが、地球の為になる事を明記致します。