私は、至聖先天老祖の不肖の弟子である。
先天坐を覚えたのは、今から、二十数年前であります。
私が、二十二歳の時です。
当時は、東京総院と多摩主院と分裂しておりました。
道院紅卍字会は、フウチと云われる、神からの自動書記がありました。
中国が赤化の劫により、共産化し、中国の共産主義の劫火に太刀打ち出来ずに中国道院紅卍字会の本部は、香港に退き、世界の紅卍字会の総本部は香港に移行されました。ゆえに香港宗母総と言われます。
人は、神奇なる、霊妙な奇跡を好みます。
フウチからは、既に、壇によるフウチは神側から停止し、人による努力による働きで、道院を運営せよと、再三に訓文にて諭され旨を示されておりました。しかし、道院の修方は、神からの意を頂戴したいと、神側の意向を無視されておりました。
「人は神の奇瑞を好むが故に魔が躍るのである。」
ここに、香港宗母総と台湾主院による、道院分裂の歩みを始めたのであります。
中の道院、和の大本と言われた、出口王仁師が率いた大本でも、神の意志よりも、人情と、権威、思想に重きを為した結果、大本は、二派、三派と分裂しました。
しかし、宗教により、絶望し、自分が、直接、神に取り次ぐと謂われる、「御魂返しの秘」が覚醒と覚神された人に授けられましたが。
香港と台湾の分裂には、理由があります。フウチを取り次ぐ者を道院では、纂方と呼びます。T定木にて正纂方と副纂方が砂の盤、沙盤にて文字を受け取ります。この纂方は、厳格の資格が要り、あくまでも、老祖の真霊を授霊された者のみにその資格があり、かつては、碁聖と言われた呉清源氏もその道を志しましたが、適わなかったとされます。
いち、道院であった台湾道院は、フウチを希望して、やまなかった。ようやくにして、香港宗母総のフウチにより、授霊された正と副の纂方が揃い、フウチの許可を得られました。
ここにて、台湾により、フウチの開催となりましたが、当時の台湾道院の統掌により、フウチの副纂方がフウチの練習方へ、変更されました。
正纂方と練習方纂方により、フウチは、開沙され、そのフウチにより、台湾道院の役割は、飛躍され、また、人事にても、神命により役職は、人に沢山、与えられ、一大行事となりました。
しかし、すぐに、香港宗母総によるフウチにて、「台湾の道院による、フウチには、魔が入った。即刻、壇を停止せよ。記録した紙は焼き捨てよ」と指示、師命されましたが、多くの修方の人々は、名誉と役職が壇により下されており、神(魔)による名誉と役割を与えられた人達は、収まりません。「台湾のフウチは本物だ」と譲りません。ここに香港と台湾の道院が分裂した結果があります。
私が、道院の存在を知ったのは、鶴仙に乗った仙人こと、笹目秀和老人の著書、「モンゴル神仙邂逅記」「神仙の寵児」によります。
笹目老人は、仙人などとうたわれておりましたが、実際には、フウチにて「我に出口王仁三郎聖師と等しき超能力を与え賜え、それにより道院を広めます。」とお願いされ、神より、「不可思議なるモノで広まった道は、真実とならない、秀和は、何を勘違いされておるのか」と戒められておられ方であり、故に、彼は、香港宗母総、東京総院より離れ、自分に好ましい役職を下さる、台湾道院のフウチ、台湾主院に付き従いました。
ゆえに、日本でも東京総院派と多摩主院派が出る結末となりました。
道院にとっては、多大な偉大な貢献をされた、方であったのに、晩年は老いて焦られたか。
二十一歳の日、私は、ようやく、笹目老人の居場所を突き止めた。東京総院をタウンページにて知り、東京総院に聞いた結果である。著書による住所は、既に移転されてあり、行き先不明であったから。
親切な東京総院の事務局により、多摩道院の事務局は、東京都福生市にあり、電話する。「笹目先生に会いたいのですが。」「会うにはお金がかかりますよ。」なんでお金?と思いながらも、「いくらですか。」「三万円です。」私は、それでも、会いたくて、福生まで行きました。当時は自分が何の為に生まれて来たか、とても知りたい時期でもあったから。
期待を掲げ、神仙の弟子でもある笹目仙人と会える喜びを抑えながら、対面しました。
対面時間は五分なり。
片目が潰れ、独眼を開き、九十二歳の仙人は、私の職業を聴く。「衣料品の販売を~」仙人はノートに「医療」と書いておられ、また、耳も遠く、言葉が通じない。そして、笹目老人いわく「私は、今、非常に忙しい。用がなければ帰ってくれと。」私は、当時から、人見知りで寡黙でありおとなしい。声も小さかったかもしれない。しかし、この爺さん。人から、会うだけで三万円、ふんだくっておりながら、この態度。何が仙人だと幻滅。(その当時の私の個人的な感情です。)
しかし、天は、まだ、私を見捨てておられなかった。偉大なる瞑想家である、ダンテス ダイジの高弟の南雲暉芝氏との出会いである。
南雲さんは当時、多摩主院の事務局をされており、福生近辺に住まれておられた。電話して、でられた方でおり、私に三万円を要求された人でもある。
偉大なる仙人との対面後、福生事務局に顔を出すと、南雲さんは、「笹目先生は、どうだった、こんなに若い人であるなら、お金取るんじゃなかった」とかいっていた。返してくれなかったけど。
多摩主院にて、求修し、老祖の弟子となった。
老祖の弟子は、百日間坐の練習をし、それから、老祖の御神体、当体でもある、「大乙北極真経」を賜る。
私は、坐して、三日目くらいで、天地が逆さまになる錯覚を覚えた。天地が逆さまではなくて、私が、逆立ちしている感でもあります。目を空けると、逆立ちは、していない。しかし、瞑目すると、逆立ちしている不思議な感覚。それは、暫く続きましたが、いつの間にかその感覚は、なくなりました。
人の性質、と氣は、簡略すれば、火の性と水の性の流れがあります。火は、上昇し、水は、下降する。この二つの性質を交合わせ、小周天させ、氣を回し、宇宙と吾が小宇宙を同調し、神人合一を為し、初めて天意と、天命を得た行動を顕すことが出来るのです。
しかし、氣を周すには、坐や、瞑想より他に道はあまり、ありません。
瞑目し、坐する。ここに先天的働きが自然と加わり、頭頂にある、真火は、降ります。火が下方に降りれば、腹部にある真水は、登ります。水が上昇し、頭頂に至ればまた、下降します。水が降れば、火は腹部から上昇します。この働きを小周天と呼び、天地の働きを行うことが出来ます。ここに人は、小天地であるとも言えるのです。
今の多くの人は、頭頂の火は、燃えて上がり、腹部の水は、下がり、決して交わることなく、あべこべの氣の流れをしており、病や、心の病気となりやすく、天地の中の人の働きとしては、本末転倒であります。
私が坐したときに、逆さまに感じたのは、今まで火は、登り、水は、降り、決して交わることがなかった氣が、交わることにより、今までの天地の立場と自己の身体の小天地が逆転し、正常化されたとも考えます。
南雲さんからは、ダンテスダイジさんの事を教えられ、ダイジさんは出口王仁三郎聖師の霊から、直接、神霊学の奥義を授けられたとも。南雲さんも出口王仁三郎なんて知らなかったけど、道院に来て初めて偉大な方であることを知ったとも。
瞑想と坐禅による気の流れの違い。意識の違い。先天坐の気の流れについて等、大略を実践を踏まえて教えてくださいました。短い期間でもありましたが、今でも坐の助けとなります。
坐をしていく上で、私は、常に頭頂に渦が巻き、氣が流れてくる感覚を自然と覚えました。それは、形坐から、離れても、日常生活の中でも感じておりました。この感覚を心の坐、日常生活の中でも出来る坐、心坐に応用すれば、良いと教えてくださったのは、道院のブログを書いておられる修方(教藏)さんです。
道院の坐をしていく上で、やはり、東京と多摩の分裂は、好ましくありません。私は、坐を通じて、東京の方にこそ、正があると、確信し、多摩道院と南雲さんからは、離れ、東京総院の根本誠乾師を師事するようになりました。
そして、東京総院より、大乙北極真経を賜りました。
つづく。