人が天命を最初から知れば、人は神の奴隷と成る。
そして、神は、人に追従を望まない。ついでに書く、神は、人の利益の為の信仰を望まない。
なんだ、そりゃ。されど、神は、己を愛する者を好まない。
これは、永遠な真理である。
神は割と自己にタンパクで、ワンパクな人を好む癖があるようだ。
神は自己よりも、人の世話をする存在を好む癖があるようだ。
そして、神は、創造と冒険する人を確実に愛されるなり。
やれやれだ、拝み拝し、奉り、供物を捧げ、神に請い願い奉る。
私を幸せにして欲しいと。無益。されど一部の眷族が呼応する。そして、呼応した存在は虚に還される。
神は我欲を好まず。なんで、ですか。人の個別の意思は、詰まらないからである。ああ、つまんない。
神にオベッカは要らない。人に必要な価値は要らないのである。
神とは虚。そこに、心は無いが、和する心に感合される。
かつて、大量の逆殺を行った、歴史の一人。
織田信長は、ジェノサイドを為した。伝教大師、最澄が歩んだ比叡山は組織として、弱者に摂取し、貴族の如く、土地と人を蝕んだ。釈迦の心を無視して、我が桜花を喜んだ為である。。。。。。意味直も天の意思でもある。
大六天魔王である信長は、人にして、人に非る、月意識、地球の意識を保つ存在であった。
故に、比叡山を焼き討ちにした。皆殺し。
人を導くのは、自然にその立場にある。故に驕れば滅びる。
元から仏道に僧兵は皆無なり。
僧が兵と、なれば、そこには、地獄しか無いのである。
強い者勝ちの世。
それを打ち破壊した、信長は、悪を為して善とされた。
信長は天に帰られた。信長は地獄に堕ちなかった。
神に追従するなよ、人間よ。
敵対するのではない。神に媚びへつらうな。
神が在りて、吾がある。吾が神と出逢えば、自らの立場を悟るなり。
天の命とは、前世の過失を補うにあるに、非ざる。
天命とは、生きる以前の阿頼耶識を越える魂の発露なり。
天命を覚るとは、自己の本源なる神の働きを悟ることである。
私は、自分が生まれて来た理由が知りたかった。
長い何月、蛆虫のような私に価値があるのかと。
当然に価値など無い。
ただ、悪しき存在として生まれたとしても、縁がありて済う存在が居て、地球意識に乗せてくださる。
まあ、人として生まれたならば、善悪を超えて、宇宙を解明すれば、神の隣に立てるかもだぜ。
神の隣におれれば、幸せであるが休む暇なし、結局は神の奴隷となるのかも知れない。
それもまた、良し。