玄徳道

道を語るブログです。

出口日出麿運霊道、うわずべりの学問。

2022-07-21 19:49:00 | 天道





一昨年の秋のことです。

亀岡の光照殿が九分九厘出来上がって、二千貫(七千五百キログラム)もあろうという庭石を、山の手から庭へ引っ込もうとした際のことであった。

大石をのせた木馬の梶をとったのは、当時天恩郷で献労していた、開安国(ひらきやすくに)氏であった。

斜面の板橋の板橋の上をスルスルと滑り始めたと思う途端、あわやという間もなく、開氏の足よりも車の方が加速度で滑り出したからたまらない。

梶棒の手をゆるめるとともに、車の角で、身体全体が跳ね返されて、反対側にのめってしまった。

それを下敷きにせんばかりにして、スルスルと車は下まで滑り落ちた。

見ると、開氏の身体は、あたかも蛙を地上にブチ投げたようになって、もはや、虫の息であった。

そこへ、出口王仁三郎聖師が飛んで、お出でになって、渾身の力を込めた、ご鎮魂になった。

その時、師の頭髪は、ほとんど逆立ちになっていた。

「ウーン」と言って、開氏は目を見開き「痛い痛い、背中が痛い!」と連呼した。

見ると右の肩の下の背部が赤に染まっている。

聖師は開氏の口に何やらお含ましめになり、お館にお帰りになったが、それと同時に発熱されて、ちょうど、開氏の瘡所と同じ箇所が終夜痛むのであった。

さて、開氏は、そこから戸板に乗せられて、宿舎に運ばれ、招電によってその夜、綾部より来た整骨医安井氏の診察と結果によると、右背の肋骨が三本折れているとのこと。

その夜、安井氏は、病床につきっきりであったが、開氏の苦痛が案外少ないので、奇異に思われていたが、翌朝になって、出口聖師が昨夜は大変な発熱で、右背が痛み通しであられたと言う事を耳にして、「なるほど」と今更ながら、生き神さまの感を深くしたそうである。

私はその際、そこに居合わせた者であり、なお、出口聖師の身体は、始終、こういう事があることを以前から知悉しているので、別段、事新しいとも何度も思わなかったが、始めてこんな事実を見た人達は、随分不思議な、有り難いことに思って、固い信仰にはいったそうである。

これについても、私は始終思う事であるが、今の世の学問はあまりに、上滑りで、その範囲も案外狭いものであり、霊的干渉、霊的相応という事実については、ちっとも分かっていないと
言う事である。

出口日出麿。

鬼雷述べる。

物事には、必ず道理があり、事に終始あり、先行するところを知れば即ち、道に近し。

ふむ。世には、皆が知る現実世界があり、蒙昧な想念世界、霊界があり、ふつう人や霊能者には、見えない聞こえない理解できない、釈迦やキリスト、モハメット、孔子、老子が到達した、実相世界がある。

吾が師、老祖(至聖先天老祖、太乙老人、天帝老祖、大国常立之大神)は、先天後天を明らかにされ、人の天命を悟る道を明らかにされた。

人の霊明は、その神を存し、その気を充すことで、精が結ばれる。

精が結ばれれば、神が凝り(神が集まる意)、神が凝れば、性は善となり、霊は明らかとなり、炁は充ちて、後天より、先天へと返る。

先天の三宝とは、炁 霊 性であり、性は炁の体であり、霊は炁の光である。

後天の三宝とは、気 精 神であり、精は気の体であり、神は気の光である。

三宝とは何ぞや。人が道を修める。修身する。坐する。修業を通じて、遍く、誰でも得られる、神が与えて、賜る宝であります。

大本教では、鎮魂を病気治しとされる意味合いがあります。

鎮魂とは、轉霊の法であり、審神の本筋であり、神を結ぶ機能を有するのであります。

故に鎮魂とは潜修、即ち、人知れず、行う道であり、鎮魂石を以て転霊の業を磨くのであります。

鎮魂法で修練が積むと、鎮魂印を組まずとも、人差し指で病を治したり、扇の先を当て直したり、活用は自在となります。

世界で羽ばたく、ケンヤマモトさんの一本指整体の本質とは、彼自身は、熊本の震災のボランティアをされていた時に、天から降ろされと言われておられましたが、正に鎮魂の法であると考えます。

先天老祖は、六万年前に先天の炁包により、遍く全ての生命を救われました。

出口尋仁聖師もまた、鎮魂により、自己の性霊を削り、瑞の御魂の如く、多くの人々を救われておられました。

実際に、その場で人を癒す力とは、不思議でも何でもなく、誰にでも備わっている機能でございます。

しかし、同じ動作をし、治せる治せないの不明が起きるのは、物事の本質を悟っているか、いないかと違いによるものと考えます。

多くの人は、人を救って有名になろうとか、欲が絡むと蒙昧となり、その転霊を活用する事は難しくなります。

また、人を救う前に、吾が身を救われなば、本源にたどりつかず、また、無私な心でなければ、虚霊は働かずです。

出口王仁三郎聖師や出口日出麿師のご鎮魂は、限りなく、愛ありて、他人の苦悩を我が身に受け入れる度量が神に近かった所以でございます。

コメント (2)
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