ああ、人は善と悪に別れる習性がある。
その善悪は、常に人の主幹に寄る。
なんせ、神に善悪は無い。たぶん。無極であるが故に。
吾が師、老祖は、善悪を含む中、人に於いては、その善なる活動を臨んでおられるが。
神は鳴り響き活動されるのみ。
道を求める者は、常に、ふんわり、心を浮かさねばならない。
何事にも囚われては、鳴らない。
この善悪響きある、世界において、ただ、空を無を求める。
雲の様に流されるのみ。
太陽の様に、熱を帯びず、大地の様に、震わず。
ただ、月の如く、夜空に反射するのみ。
月の裏には、重大な秘密があろうとも、月は、優しく人を護るのみ。
身体には、南極と北極とがあります。
南極に、文明あり。北極に試練あり。
これは、頭脳と、体幹のサトシ。
脳よりも、腹を括る。
人の身体が宇宙を示されておられる証でもある。
いや、南極たる、天庭も、北極たる、黒潭もすべからく合わされば、調和なる神人合一の境地を現す。
私は三回目のコロナワクチンを打ちました。
愛する妻の働きにより、四回目も打つ予定と、なっております。
死にたがり屋の私にすれば、これもまた、好奇なり。
扨、今のコロナワクチンは、人を滅亡させる存在なのか。
然りであり、否でもある。ワクチンは毒を以て毒を制する、研究者の証しでもある。
コロナワクチンは、人殺しの道具なのであろうか。人体実験を為す為の道具なのであろうか。
否であり、応である。
コロナワクチンの副作用で人は簡単に死ぬ。
されど、コロナワクチンを研究をされた、人は、人を殺そうと作ったものであろうか。
否。これは、明らかである。
そして、コロナワクチンで救われた人は、皆無で、皆、健康を害されたのであろうか。
否である。
幾億万年の最中、人は、業を劫を創り、天からの命を拒み(欲に囚われ、天命よりも、我が趣向に偏る。)、我のみ良ければ良い、我よしの心を増大された。
そこに如何なる、善意も利用され、金儲けの利益が繋がる。
コロナウイルスは太陽の洗礼でもある。
しかし、コロナワクチンは、悪意の象徴であり、その善意を信ずる者がある。
ならば、国が悪意を以て、それを示しているのあろうか。
国は社稷あるのみ。。。されど、人は偏る。
国とは、民草の思想の現れでもある。
国に悪意があるのは、民草の現れである。
国に善意があるのは、民草の現れである。
人の利己主義と、悪意は永遠に消えない。
その最中、国に責任を求めるは、社稷では無い。
国とは社稷であるが、民草は、社稷を求めない。
民草が求めるは利己主義。
人は、個人としては、善良であっても、民草となれば、乱れる。
喜怒哀楽の発せざるこれを中と呼び、一度発して、節に当たる、これ和と謂う。
神の道に、生きる者は、人の情に流されても、和を乱しては、ならない。
中は、天下の大本の明道であり、和は天下の達道であり、中和を明らかにして、天地が位し、万物を活かすのである。
坐の道は、ほんわか、かろやか、和やかにして、道を明らかにするのである。
人は、決めつける。
何を決めつけるのであろうか。
我が正しさを。
歴史を振り返れば、善悪などの争いは、不明であり、無明。
都合勝手。
結論を述べれば、ワクチンを、撃たずとも、自己の免疫機能を確立させる。その為には、添加物を摂らず、納豆などの発酵食品を食べれば、死のリスクを回避出来るのであります。
勿論、筋肉も鍛えねばなりません。
皆、ダイエット的に、微糖や、糖質OFFに喜ばれるが、悪意の添加物が身体を襲うのであります。
まあ、私は、打ちますが。嫁は強し。
美味い話しには裏があり、善い話も然り。
しかし、神は悪を以て善へ導き、人は善によりて、誤る事もある。その逆も然り。
人の生命は儚い。
交通事故、病気、癌化、殺害、戦争。
そして、常に人の心は、乱れる。
故に、人のカルマが劫を生み出し、命数を削るなり。
カルマに囚われない、唯一の方法は、我が身に一氣を集め、回天させるのみ。
ああ、かむながらたまちはへませ。