今日のこの日は、先の大戦の開戦の日であるぞよ。
先の大戦は、日本だけでは無く、アジアやその他の国々の辛く悲しい大きな犠牲を重ね、その上、日本には原爆を落とされ焼野ヶ原の中の敗戦となりたが、先の大戦は大きな犠牲を払いし日本、三千年の大禊であり、自由を封じられていた大なる岩戸開きでありたぞよ。
天皇自ら二度と戦争せぬから日本の国を残し欲しいと神に誓い、神も人も、自由に働ける世になりたのであるが、外国の流れに振り回されて再び軍備増強と時代を逆のぼらせる如き動きのある事は、気をつけねばならぬこの時であるぞ。
扨も、修聖には、龍宮界の図りによりて、子供の頃から神や佛を祀らせて遊ばせたのは、その末、神の取次をさせる先がけありたぞよ。
長じて昭和四十一年十一月、二十三歳のおり、但馬豊岡の光之道(宗教法人)へ奉仕させる事となり、昭和四十二年節分から神示、取次の始まりとなり、主神教祖(注 万教の教えの祖は、宇宙大元の神、天之御中主神、亦国常立尊の意)の教えを持って光之道の布教にめぐらせたが、段々と丹後但馬を始め、封じられた神々の岩戸開きと、その神の縁ある人民の御魂の覚醒を祈り、神示のままに、全国の因縁の地場をめぐらせ、昭和四十九年、丹後久美浜、旭の海岸の岩窟より多くの玉石を得てからは、巡りし神山霊地に玉石を鎮めてゆく、龍宮の石の種蒔きの五用に仕えさせ、新しき世の御用に役立つ人民の芽吹き、玉石(魂意志)が、ものを言う世の到来を祈らせたぞよ。
(注 昭和四十八年四月四日(旧三月三日)玉置神社、天河神社の神業の始まり、昭和四十八年八月八日富士山山頂、天地清浄祈願祭。
昭和四十八年十一月四日(旧十月十日)但馬来日岳に晴明金明宮(すがのきんめいのみや)建立。)
昭和五十四年七月一日(旧六月八日)、石の種蒔きの納めに参らせたのが丹後の男島女島、中津神の岩の神業であり、是は新しき世を産み出す龍宮の岩戸開きでありたが、是を期に、光之道より、追放され、五年間、左官や大工の下働きで糊口をしのぎ、昭和五十九年三月、十八年ぶりに、故郷の丹後へ帰らせ、籠神社、海部光彦宮司のはからいで、籠神社に縁を結び、石の種蒔きの止(とど)めとした、
男島女島に天(海)降る、天照国照日の出神と龍宮乙姫(瀬織津姫)を世に顕す五用に仕えさせる事となりたのであるぞ。
但馬豊岡の光之道に仕えた事も追放されて、丹後へ帰りた事も、皆神の図(はか)りでありたぞよ。
特に丹波小多利の小富士山の神には仲立ちをしてもらい御礼を申すぞよ。
艮の金神 国常立大神の陰に隠れて三千年の苦心の神図りを実らすのは、日の出神と龍宮乙姫つれそうての五用であり、是、地の三六九の神であるぞよ。
これまで、世に出ておりた神や佛は、思凝霊に封じられ、体を持つ人間を構い切れず、自我や欲を増長させ、水清く緑美(うる)しきこの地球を汚し穢してしまったのは、一つにこれまでも世を構いて来た神や佛の責任であるから…。
この地球に、関わる神佛、世の元の神の意に素直に順(したが)い改神をいたして、亡びに向かわむとしておる地球の浄化(きよめ)を急ぎ、利己主義(われよし)と化した人民の改心させてもらわねばならぬぞよ。
扇にも要(かなめ)がある事を忘れ、人が悪く自分は正しいと意地を張り争い、人間同志、殺し合う戦争は真に愚かな事である事に早く気付かねば、世は行きずまりてしまうぞよ。
末は、皆相和し、助け合わねば、現の世に人類が残る事、出来ぬのは明らかな事であり、強い者勝ちの世や、権力で人民を押さつける世は、先の大戦で終わった事と知らねばならぬぞ。
闇の世の岩戸は開け、天照国照日の出神の御顕れの世とめぐりても未だ、旧き世のながれからぬけ切れず、我が我がの利己主義を通しておる人民であり、世界の国々であるぞよ。
自我や欲を押し通しても平和の世は来らず、争いは末に共倒れとなるぞよ。
未だにコロナは終息いたさず、世界の戦争の火の手が消えぬのは、思いやり無き、自分勝手の利己主義の心が、少しも改まらぬ故であり、今この時、利己主義を煽動する思凝霊(しこりがみ)の大将赤き辰と、赤き鬼の渦巻きに世界は翻弄されておるのであるが、その本拠地の大国も内から割れて、何時までも強い者勝ちは続かぬ事を見せるぞよ。
戦争をしておるどころか、何としてもこの地球の浄化を急がねば人類、地球に住まぬようになるぞよ。
これまで、世を構いて来た神佛を始め、現の世を司る国の頭等(かしらたち)…我が我がの意地を張りて争いておる時で無い事を人民に先がけて気づき、扇に要のある事を知り、総てを括り結びてゆく、白山菊理比売の神、その御顕れ金勝要神の意に順(したが)い、利己主義の意地張り、言止めて括り結びの善き型を現せねばならぬのじゃ。
軍備や核兵器で威嚇しあって国を守るような考えでは、一時は守れても末は共倒れじゃとくどいほど申してあるぞよ。
皆、心優しく相和してゆく大和心でないと、真の平和な善き世は来たらぬぞよ。
相手を倒し我が勝ち残るような精神が根であれば、修羅の世は治らぬぞよ。
そんな甘い考えでは外国の自在にされてしまうと思う人民であるが、勝った負けたの強い者勝ちの栄(さかへ)は、一時のものである事を先の大戦にも学び、皆助けあい、相和して暮らした縄文の精神を思い返し、強がり意地張りばかりでは、安らぎは無く、時には神や佛、人民に甘える事も大事じゃぞ。
甘える事で、心安らぎ、和の道の開きともなるのじゃぞ。
神も佛も人民も大元の神の意に順(したが)いて行く道が主神教祖(注 弥勒の世、万教調和) の道であり、霊和(令和)の世の目指すところであるぞよ。
言霊神也 ン。
令和四年十二月十日。
天橋道士 龍華斎修聖拝写。