紀州熊野の伊邪那美命の陵と伝えられる、花の窟と、その前の火の迦具土の神の磐座が見え、次に伊邪那美命と迦具土の神を祀る産田神社が拝され、その前に白衣の女神が赤い布でくるんだ、赤児をだき、にこやかな顔で御立ちでありました。
(注 伊邪那美命は火迦具土を産まれる時、火傷して亡くなり、我が母を殺した子を怒り、父なる伊邪那岐命は迦具土の神の首を切り給うと言う。
この事は、自然現象ではマグマ(火迦具土)が山頂を吹き飛ばし、溶岩が山を焼く、この地球の修理固成の様であり、又争いは親子夫婦近親の争いから始まり広がる事を示されている。
火は天の太陽だけで無く、この地球の底にもあり、マントルやマグマは火迦具土神であり、天照国照日の出神は、太陽の氣と地球の底の火気一体となりて、神霊(みたま)が成っている事を示されている。
産田神社の母子の神は伊邪那美命、迦具土の神の和解の姿であり、夜叉から母神に返られた姿であろう。)
次に熊野本宮が昔あった大斎原の石祠の前に、厳霊出口直刀自、瑞霊出口聖師、要神出口すみ刀自、日の出の神の縁の三代出口直日様が御立であり、出口すみ様が日の丸扇をぱっと開かれると、その中から三つ足の烏が飛び出し、その烏は、丹後の真名井神社の鳥居にとまりました。
(注 大本は神業の型を出すところで、日の丸扇は、日の出みろくの神の出現の型が示され、それが出口直刀自から三代直日様の間に示されている。
三つ足烏(ヤタガラス)は、太陽に住み、天地を通う神使であり、熊野本宮のシンボルでもある。
熊野本宮の主神のは豊受大神(国常立尊)であろうか。
南海の気が動いている事を感じ、さわがれている。
南海地震も世を替える神業であり、大難が小難で済む事を祈る。
熊野本宮には家都御子神として、素戔嗚尊が主たる神と祀られているが、熊野三山奥院玉置神社の主神は、国常立尊である。
玉石には饒速日命が鎮まる。)