山上に残雪を頂き、美しい富士山と、その山下の桜の花も満開で、朱塗の社殿もあでやかな、木花咲耶姫命を祀る浅間神社が拝され、次に、伊豆半島の雲見にある、烏帽子山山頂の磐長姫命を祀る、雲見浅間神社が拝されました。
(注 木花咲耶姫命と、その姉の磐長姫命は、二人共、天孫瓊々杵の尊様の妃に上がらされたが、磐長姫命は、容姿がみにくいので返された。
木花咲耶姫命は、木や草だけで無く、万物万民、美しい花を咲かせ、栄えさす、神徳であり、その御栄えを磐の如く、末永く続く事を願っておられるのが、磐長姫命の神徳である。
木花咲耶姫命、磐長姫命一体となられて、花咲き実る末永き栄えの道が開けるとの神意であろう。)
次に、未だ、つぼみの広い、桃の林の中に、西王母に扮された、出口王仁三郎聖師が立って桃の木を見ておられました。
(注 西王母は中国の最も神聖な霊山、崑崙山に住まう仙女の長であり、東王父を厳の御魂とすれば、瑞の御魂であり、出口聖師と御魂通じる。
西王母は桃園の管理し、三千年に一度実る不老長寿の桃の実を持って下生され、その時は、地上天国成就の時と言う。
出口聖師は、瑞霊であり、地上楽土を開く先駆けをされたのであり、桃の実りは百(桃)の実りで、総ての事象の完成を意味する。
出口聖師は、大正十三年、五ヶ月にわたり、モンゴルで布教活動(東亜の天地を精神的に統一し、次に世界を統一する為。東亜とは、東アジアの事)をされる。
大本の、ある御神体(不明)を崑崙山に埋めてくるよう、笹目仙人(秀和)に預けられた。昭和十年、大本教弾圧の前か。)