和合の道の開きに、素直にならねば救われぬと申しても、人の身は我を守り、生き通す為に素直になれば、我が身の負けと、自我強く我が意を通さむと、争いを起こすなり。
扨も、人の身はその昔、大海原に龍体と産みなされ、その龍体が玉を得る事によりて、人の身と進化する、道が開け、長い長い年月をかけ、龍は、海から陸に上がり、水中生活から、空気の暮らしとなり、段段と神に似せて、人の身と進化いたしたのであるぞ。
(注 脊椎動物の種は(細胞)は、海水より生ず。
人の身も母の子宮の羊水(塩水)の中で、長い精子(龍体)と卵子(玉)が結ばれて、人体となり、十月十日の水中生活から空気の世界へ生まれた来る。海原=産腹.子宮=龍宮)
龍体から人の姿と成る時には、神界は八百万の神々の神霊(みたま)を分けて、それぞれに御魂に相応の特技特性を授け、人の世が成りたぞよ。
長い年月、荒海の中で苦労いたし、その上、海中の龍体から陸に上がり、人の身と成るまでには、言うた言われん苦労いたしたから、人の身は、我を守らむ為に、やむをえず、自我や欲が強くなりてしまいたのであるぞ。
肉体の霊の自我や欲が、神授の御魂を押し込めておるから、中々、神の言う事を素直に聞けず、御魂の特技、特性も易く、発揮出来ぬので、あるぞ。
人の身が海中(塩水)の中から人として生まれる過程は、母の体内の水中生活から十月十日をして、空気の世界に生まれる事で教えておるのであるぞ。
(注 万物の種(細胞)は海中の水から生じ、末は水にかえる。)
龍体から苦労して、人の身と成り、生きてゆかねばならぬ故、自我や欲が強くなると申せ、人の身は我が身一人では暮らせぬものであり、家族あり縁ある人々、そして世界人類が時計の歯車の如く、かみ合い、助け合いて、人類社会が成りておるのであるぞ。
神には御魂や生命を頂き、生かされておると言えど、活きてゆくには、肉体の血の流れの中に伝わる様々の因縁(遺伝子)の浮上により、中々人生を楽に過ごす事が出来ずに、人それぞれ苦労があるが、それがとて、人をうらやみ、人の幸をうばうような事をいたしても、我が身が覚り、心改めぬ限り、争えば争うだけの因縁は深まりてゆくのであるぞ。
この日本の国も、よほど心いたして、政治の世界も改め、真を入れねばならず、経済も少し上向になりたとて、調子にのれば、これまで、以上に困らねばならぬ節目も来るから、常に引き締めて歩まねばならぬぞよ。
細かく申すようであるが、神が人類に任せた現の世も、神が構わねば行けぬ、ところまでなりて、おるのであるぞ。
このまま、世を持ち崩しては、世の元からの神々にも、祖先にも顔向けならぬ、事になるぞよ。
目先だけ、飾りた栄えでは、世は長続きいたさぬぞよ。
それぞれに、授けてある神授の御魂の特技特性を磨き、皆で活かしつつ、共存共生の世を開かねばならぬぞよ。
修聖には、小学五年生の頃、「ひろしま」と言う、原爆の映画をみて、焼けただれた、人々の右往左往する様を見て、恐怖心を起こし、こんな事になりたら、我も家族も世界の人類も如何になるか、真剣に重い、絶対に核兵器は、無くせねばと思い、それが神の道に入る、一つのきっかけにもなりたのであるぞ。
(注 映画「ひろしま」は、昭和二十八年公開、関川秀雄監督、原爆投下の映画、修聖、小学四年の三学期か、五年の一学期に見る。)
未だ世界各地で戦争は止まず、核兵器で威嚇し合い、国取り合戦や、宗教思想の争いを繰り返しておる有様であるぞ。
正月元旦、能登の地震もそうでありたが、地球の生命線、艮坤の神氣厳しく動き、各地に地震、天候異変が起こりておるが、神に任された責任を忘れ、我が世の春と有頂天になりておる人類の改心を迫る、神の警告であるぞよ。
早く、荒事は、現事(あらごと)、新事の始まりである事に気ずき、事ある度に地球を汚し、穢す事、人類相姦の悪事を改めてまいらねば、ならぬぞよ。
国々の頭(かしら)達も、我が身大事、国が大事と思うなら、核兵器、絶対使ってはならぬぞよ。
核兵器を如何にするか、人類発生以来の罪科を審(さば)く最後の審判の第一の課題であるぞよ。
その事を世界人類、真剣に考えねばならぬ、この時であるぞよ。
戦争に勝っても地球の人類が、滅びるような事となって、何とするのじゃ。
和の道じゃ。
話(わ)さねばならぬのじゃ。
腹の底から打ち開けて話すのじゃぞ。
良く考えよ、岩戸の開きとは、つつみ隠し無い言葉を発する事でもあるぞよ。
真の言葉(言霊)を発する事で、生命幸倍(いのちはきは)う道が開かれるのじゃ。
正しく生き、気の抜けておる、人類の生気を取り戻さねばならぬのじゃ。
枯れ木に花を咲かせる世
桃(百)の実りの世を開かねばならぬ
これからの世じゃ
さあ、闇の世を晴らす
日の出の神はすでに御現れであれど
それを覆う強い者勝ち
利己主義の黒雲を
祓わねばならぬのじゃ
天照国照日の出の神の宮が
天橋立籠宮じゃ
この年の四月の大祭には、久々に、日の出の神の大神輿も出でるぞよ。
皆々心の中の闇(病)晴らす、日の出の神を御迎えいたし、己が使命の全うに勇みて前へ進もうぞ。
言霊神也 ン。
令和甲辰六年四月二十七日
龍華斎修聖拝写。