散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記160221日(みんぱくで、「宗教の原始をさぐる」の話を聞く 古代日本)

2016年02月23日 21時58分29秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴 ・ 曇   最高/最低℃ =11.8  4.9
21日は、午後から『みんぱくウィークエンド・サロン――研究者と話そう』<宗教の始原をさぐる―南部アフリカ聖霊教会の現在(いま)>話者 吉田憲司(国立民族学博物館教授)に参加した。

始め、SNSで案内のあった京都芸術大学(以後京芸)で行われる歌劇カルメンを見に行こうと思い、大学までのルートを調べた。
京芸には、一度も行ったことがない。
バスを、乗り換えていく必要がありそうだし、大学に行ってからも迷いそうなので、やめた。
そこで、同じくSNSの案内にあった『みんぱく』のウイークエンドサロンに行くことにした。

開始時間は2時半なので、所要時間を調べるたが、モノレール万博公園駅から国立民族学博物館まで歩いて約15分かかり、家からみんぱくまで、最短でも1時間半はかかりそうである。
大急ぎでフルバージョンの昼食を作り(簡易版は缶詰とご飯+α フルバージョンは、副食<温野菜=食材13種類>+納豆+ごはん)大急ぎで食べた。

家を出るときには、ウイークエンドサロンの開始時間に間に合うかどうかという時間に家を出た。
しかし地下鉄やモノレールがら乗り換えも含め、プラットホームに着くと発車したところという場合がすべて重なり、遅刻は決定的となった。
結局5分余り遅れてウイークエンドサロンに参加できた。
会場は満員で、補助いすを用意してもらった。

私は、考古学的視点から日本文化の基層に興味を持っていて、その一つに日本の宗教=神道の始まりにも関心を持っている。
それは霊魂観とか祭りとか習俗・風習や伝説や神話にも関連することでもある。
日本文化は、縄文、弥生、古墳、飛鳥・白鳳、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和と、それぞれの時代に海外からの大きな影響を受け、時に鎖国状態であったりし各時代で文化が大きく変化した。
ところが縄文文化が日本文化の基底にあるという人も多いが、どれだけ後世に影響しているのか分かっていない。
縄文時代は長く、その間温暖なときから小氷期まである。
人口密度も、激減した時もある。
しかも地域により植生も文化も違う。
しかし地域間で交流があったこともわかっている。
縄文時代と弥生時代の境目も議論されている。
まず、いつから弥生時代が始まったのか。
稲作文化は、生活スタイルをすべて変えてしまった。
稲を作るには、労働集約型でなければできないのだ。
即ち、灌漑、田圃づくり、各種農作業、米の保管、
そのためには、工業生産のように、役割分担が必要となり、皆をまとめ指示を出すリーダーも必要となる。
灌漑や田圃づくりや農作業といった土木作業や農作業には知識や経験も重要になり、同時に水争い等他の集団との紛争も発生するし、集団内での富や権力の格差が発生する。
縄文時代は極端に言えば各集団は狩猟採集で一部栽培作物があった可能性もあるが、集団としては格差は少なく緩やかな社会の縛りで行けたが、弥生時代になると米作のため食糧事情がよくなり人口は増加し社会的縛りは今の村社会と同じになるのではないかと想像している。

最新の研究では、弥生時代には、地域間の文化の違いは大きくあり、地域によっては縄文文化が続いていたところもあるようだ。
特に東北、北海道は遅くまで縄文文化が続き、北海道は続縄文文化となる。
弥生時代・文化は、米作がその中心にあるが、地方により、その地方に合った生業を選んだようだ。
関東東北では、落葉広葉樹の森が豊かで、栗・ドングリやクルミ等の作物が多く狩猟も盛んなため縄文文化を残した可能性も考えられるという説もある。(西日本には照葉樹林が発達し、食料となる栗や椎や楢といった堅果類<栗 ドングリ 椎の実・・>のとれる落葉広葉樹が少ない。)
事実、東北でも一部米作は行われたが、結局弥生文化にはならなかったが、西日本は弥生文化になった。
弥生文化の受け入れは、米作中心の社会構造に変革することで、社会の体系も大きく変化する。

日本文化と米は切り離せないし、祭り・宗教の中にも米が深く入っていて、天皇家の最も重要な祭事である新嘗祭も米に関連する祭事である。
弥生時代は北九州(唐津市<末盧国>、糸島市<伊都国>から福岡市<奴国>魏志倭人伝記載の各国は弥生時代後期から晩期に成立?)から始まるというのは遺跡からも明らかである。(宇木汲田遺跡、菜畑遺跡 板付遺跡・・・)
日本で本格的に稲作が始まったのは北九州で、始めに韓半島からの渡来人が稲作文化をもたらしたのだ。
その後も渡来人も来るが、縄文人との混血も進み、また縄文人が稲作文化を受け入れたようで、一部地域には集落間の戦いはあったようだが、渡来人による征服戦争ということは、なかったようである。
ただ、弥生末期には、中国の史書にも書かれているように倭国の大乱があり防御戦闘用の高地性集落も全国に出来、その後突如前方後円墳が発生し古墳時代に入る。

弥生時代の終わりには、銅鐸や銅矛銅剣といった弥生時代の祭祀道具といったものが、一斉に埋納され姿を消す。
近年埋納されたそうした遺物が各地で大量に出土して、話題になっている。(荒神谷 淡路島・・)
この時期に、一大宗教改革が起きたと言われている。
同時に北九州の国々では、大陸との交流が盛んとなり、王墓も作られるようになる。(平原遺跡・・・)
弥生時代の終末と古墳時代の始まりが、邪馬台国・卑弥呼の時代である。(邪馬台国のヤマタイはヤマトの事であるという説もある。)
その後、大和の唐古遺跡の隣の纏向(三輪山の麓)に纏向遺跡が出現し、纏向型前方後円墳が出現し、その後最初の巨大前方後円墳である箸墓が出現する。(箸墓を卑弥呼の墓と考える人も多い)

多分日本の神道の源流は、祭事や記紀の神話に米絡みのことが多い(例:瑞穂の国)ことを考えると、弥生時代にあるのではないかと想像している。
神社建築の棟持ち柱の系譜は(弥生から)古墳時代の前方後円墳の埋葬施設の祭祀にあるという学説もある。
ただ、弥生時代や縄文時代の霊魂観というのは、諸説あるがまだ定説がないし、同じかどうかもわからない。
ただ先に述べたように、弥生時代の祭祀に稲作文化が反映されているのではないかという意見は多い。弥生の祭祀が稲作を中心とした祭祀であるなら、縄文時代には稲作文化はないので、縄文の祭祀は弥生時代の祭祀とは異なることになる。

以上のようなことを原始宗教の一端として関心を持ってウイークエンドサロンに臨んだのだが、今回の宗教の原始はキリスト教関連の話で、アミニズムや霊魂観とか宗教祭祀の原始的形態といったものではなかった。
だが、私は以前から原始キリスト教集団や死海文書に少し関心を持っていたので、今回の話は原始キリスト教の構造と似た面があって興味深い話だった。
話しの概要をすべて述べることはできないが、印象に残った事柄の一部やキーワードを書いておく。(私の聞き間違いや勘違いもあるので、引用はお断りします。直接先生の論文等の著作物より引用してください。)
南部アフリカ(ザンビア モザンビーク)で、キリスト教徒が急増した。
1985年のキリスト教徒は25%であったが現在は90%以上と考えられている。
広まった理由
戦乱による社会不安  政府の失策による国家的貧困  エイズの蔓延
その結果、伝統的な親族社会による相互扶助組織が崩壊した。
1988年から1993年まで南部アフリカ(モザンビーク等)は危機の時代であった。
その時、キリスト教会は相互扶助の役割を果たし、崩壊した親族社会の相互扶助の補完的役割を果たしたと思われる。

病と憑霊
古くからの南アフリカの信仰と南部アフリカで成立したキリスト教会の構造が似ている。
精霊―――祖霊
精霊の力による治療  精霊に憑依された人びと 
  教会における職能
    占いと病気の治療の能力  説教者、司祭  邪術師の発見  警備  聖歌隊

治療の実際
牧師と信者=医師と患者=師匠と弟子 
(ここでいう医師は近代的医学でなく、多分呪術による治療。)
異言の伝統  伝統社会では霊媒師・呪術者が治療するが、教会でも憑依者による治療が中心。
ズイオン精霊教会  
霊媒の系譜  始祖ゼルバベリ・ダカ1908年精霊を受け 1910年治療開始 
        1914年『ズイオン精霊教会』設立
南部アフリカのシオニスト教会 
  ジンバブウェの精霊教会
  南アフリカの『シオンのキリスト教カトリック使徒教会』1886年シカゴで成立
異言に使用された言語の背景(様々な南部のアフリカ言語が含まれている。)
  ンゴニ(ズールー族?)の戦士集団(男のみの集団)が南アフリカのスワジランドあたりからタンザニアのヴィクトリア湖近くまで移動し、各地で女性を娶り妻子はその場に置いたまま、戦士たちは新しい土地へ移動を続けた。(1835年ンゴニの集団がザンベジ川のズンボを渡る)<ズンボ= モザンビーク、ザンビア、ジンバブエの国境>
彼らはザンビアに定着したが、元の言語を忘れた。
霊媒の始祖ゼルバベリ・ダカの両親はニゴニ集団と関係していた可能性がある。
(その場合、両親から様々な言語が入り混じった言葉を聞いていた可能性があり、その影響で憑依の時に口走った可能性がある。・・・・ということも想像できる。この話からの私的憶測)

みんぱくの帰り、万博公園の梅林の梅は満開だった。
帰宅後は、副食作りに追われた。


散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
参考ブログ集 散歩者gooより


コメント