散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記130417水(22/17曇 アメリカの場所チェック 造幣局の桜の通り抜け)

2013年04月18日 11時49分49秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日朝にSNSを見ていて、過去の旅行先をポイントしている記事を見て、再度チャレンジしてみようと思った。
以前に何度か、海外で住んだことのある場所を、FBに表示させようとしたがうまく行かなかった。
再び昨日チャレンジしたがダメだった。
そこでとりあえず、グーグルMAPだけにでも表示させようと試みた。
グーグルMAPの航空写真が話題になったころ、試しにグーグルMAPを使って、1986年に約1年半近くシカゴにいたときに住んでいた場所を特定したとき、興奮したことを思い出す。
その後メキシコのクエルナバカにもホームステイし1ヶ月以上滞在したが、メキシコは住所が分からず、まだ特定できていない。

昨日、再びシカゴに住んでいた場所だけでも特定しようとグーグルMAPを使い調査を始めた。
住所の手掛かりとなる書類(住所録や英語学校関係の書類)は、家の中にあることは間違いないが、整理整頓が全く出来ていないため、探し出すには多大の時間と労力が必要で、そこまでして探すつもりはない。
従って、学校名とわずかな記憶を頼りに、グーグルMAPの地図と航空写真で探した。
ずいぶん時間がかかったが、コンコーディア大学やイリノイ大学やアメリカ人の友達のところに遊びに行ったシカゴ大学等を見つけ目印をつけた。
1986年から1987年にシカゴ郊外のオークパーク近くのリバーフォレストとシカゴ市内にそれぞれ半年近く暮らし、英語学校に通っていた。
今まで最初に確認して以後は、毎回探し出せなかった場所が、とりあえずマッピングできてうれしい。
出来れば、これから、1週間以上滞在したことのある、メキシコやコロンビアやペルーも調査したい。

一昨日から腰痛の前兆としての背筋下部の筋肉痛が起きていたので、腰痛のことをまとめるために、ブログ「腰痛の予兆と腰痛対策(追)」、(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/455db924c1399b6492ff2e4a5b526a4c)を書いた。
今日も、昨日のブログに新しい情報を追加した。

夕方になって、毎年行っている造幣局の桜の通り抜けに出掛けた。
明らかにサラリーマングループと分かる一団が多かった。
桜は、完全に散って葉桜になったいるのもあったし、ほとんどが散り始めか半分以上散っている状態だった。
今年の桜の「天の川」も7割程度散っていた。
これでは、今週末に来る人は、ほとんど散った桜を見る羽目になるかもしれない。
それでも、山桜や八重桜はソメイヨシノのようにパット散らないようで、一応桜の通り抜けは、桜のトンネルを通過する気分は味わえたが、全体としては期待はずれであった。

帰りは、運動のためわざわざJR桜ノ宮まで大川岸の遊歩道を歩いた。
大川岸には漕艇庫があり大学の部員が筋トレをしていたり、新入生をボートに乗せて漕ぎ方のトレーニングをしたりしていた。
川岸は、木々に囲まれ美しい風景を形成していた。

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腰痛の予兆と腰痛対策(追)

2013年04月17日 16時59分53秒 | 医療・健康・運動・食事・予防
久しぶりに腰痛の注意信号がでた。
背中の腰に近い筋肉が面的に痛くなり始めた。
この筋肉の痛みには思い当たるところがある。

最近自転車に乗るときに、わざと腕を真下に折り曲げ、体を前に傾けてこぐようにしていた。
ジムで、腕の運動で押し出しの筋トレの値が、他の筋肉の部位と比べ、記録のUpがないのだ。
普段良く使う筋肉は、記録の上昇が早く、楽をしている筋肉は、上昇どころか、場合により低下することさえある。
その意味で、普段から自転車に乗るときに腕を下に曲げ、上半身の体重を腕で支える形にして、腕を押し出す筋肉を鍛えようとしたのである。
多分これは、それなりに効果があるだろうと思っている。

しかし、ここで思わぬ誤算が会ったようだ。
上半身を前に倒して自転車に乗ると、上半身の荷重を支えるのは、腕だけでなく背筋も使われていることを頭の中に入れてなかった。

今回の腰痛の前兆は、明らかに自転車で前傾姿勢をとって乗ったために、腕より背筋で上半身の荷重を支えた為らしい。
前傾姿勢を保ったまま長時間乗り続けたことで、背筋に長時間負荷がかけられ続け、慢性的な疲労のような状態になったようだ。

私の場合、この状態から、下手をすると、本物の腰痛になったりすることは、たびたび経験している。
軽い背筋痛の場合は湿布薬を筋肉痛の部分に塗り、軽い運動をして血行を浴してやれば、早く回復することが多かった。
ただし、重い背筋の筋肉痛の場合に運動をすると、逆効果のこともあったように記憶している。
いずれの場合も、血行を抑止新陳代謝を図るために、筋肉痛の部分を冷やさないよううにすることが必要である。
今回の場合、軽くはなさそうだが、それほどひどくもないので、ジムに行くほうがいいのか悩んでいるが、昨日プールに行って軽い全身運動をしたのに治っていないので、今日ジムに行くのはやめにしよう。

今思い出したがもう一つ、腰痛を引き起こした原因があるかもしれない。
寝床の問題である。
冬は寒いので、マットの下にアルミ箔の断熱材を何枚も重ねて敷くので暖かい。
しかし最近、その冬の間マットの下に敷いている断熱材を敷かなくなったのだ。
私の使用しているマットは5年以上使用していて、薄くなっている。
フローリングの上に直に敷いているので、断熱効果はよくない。
即ち、断熱シートを敷かないと、気温が20度以下では体を冷やしやすい可能性があるかも知れない。
寝床の上は暖かくても、背中が冷えていれば当然血行が悪くなり筋肉痛を起こしやすいし、背筋の筋肉痛を起こしていれば、良くない。
今日寝るときはマットの下に断熱シートを敷いて、背中を暖かくして寝よう。


参考 腰痛の原因と対策

腰痛、推定2800万人 40~60代の4割、悩む(http://digital.asahi.com/articles/TKY201303230226.html)

腰痛&手の痛みに新技 ついに劇的回復!(http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20120215.html)


腰痛の最新情報(追)(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/bbbe5a0c65dbef339b120f67b762f8f2)

「さらば!オナラ肩こり 原因はたった1つの癖」(腰痛含む) (http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20120725.html)

筋肉が原因の腰痛とゴロ寝(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/0822af6c7669b12818da5196882b6a49)

私的健康運動メモ120628木 (腰痛)(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/1f64a8efd79f9e71f8003eeef1e74501)



散歩者gooのブログ(http://blog.goo.ne.jp/sksoo)



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昨日記130416火(24/12晴 企画の提案・調整)

2013年04月17日 10時22分44秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
先日久しぶりにメールボックスを開けると(最近は、ほとんどの連絡は、FBのコメントやメッセージで済まし、メールの受信箱は2-3日に一度しか開かない。)、土曜日の同窓会で、話していたK氏からのものが入っていて、その文面には、「例の件よろしく」という意味のメールが入っていた。

同窓会で雑談中、K氏に対し私があることが可能かもしれないという企画提案をしていたので、そのことの念押しメールだった。
企画提案といってもお金の絡むたいそうな話ではない。
(詳細は、もし実現すれば案内しますが、今は内緒です。)

私が、可能性があるかもしれないと話を提案した以上、私が動かねばなるまいと思った。
午後から、そのために某所に出かけた。
実はその前から、この話を進めるにあたり、以前、オーナーの方が体調を崩して歩行さえ困難な状況と聞いていたことを思い出し、店を閉めているのではないかとか、オーナー不在で、話も出来ないのではないかと心配していた。

その場所に行くと、オーナーのMさんが居られた。
展覧会の搬出作業中だった。
途中で、お茶となり、作家さんやオーナーのMさんと私でお茶を楽しんだ。
作家さんは、その分野のトップレベルの大物の方のようだったが、そんなそぶりは全く見せず飄々とした優しい感じの方だった。
しかし作品の売れ行きを見れば、その人の実力の一端がよく分かる。
(売り上げ=その作家の実力のすべて、とは思わないが、少なくとも客観的に実力を示すバロメーターの一つではあると考えている。
全く売れなくても実力のある人は多いし、美術史上に名を刻む人でも、生存していた頃は、ほとんど売れなかった人も多い。)

Mさんの体調はほとんど健康な状態に回復し、何不自由なく動けるようになっていた。
搬出作業の合間を見て、私の企画をMさんに提案した。
好意的な反応だった。
次の段階に向けての話も出来た。
私はほっとした。
その後も、しばらく共通の話題で話が弾んだ。
搬出も終わり私も、話の糸口をつかむことが出来た達成感を持ちながら、家路についた。


帰宅後すぐに準備してプールへ行った。
入場制限時間ぎりぎりだった。
300m程泳いだ。
クロール、バタフライ 背泳 平泳ぎで適当に泳いだ。(クロール以外は25m完泳)
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昨日記130415月(20/13晴 ツバメ 韃靼疾風録読了)

2013年04月16日 15時46分26秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、いつものようにブログを書き、買物に行く変化のない日であった。

大きな変化はないが、ブログを書くにしろ、買物で出合った光景等、小さな変化はあるのだろう。
多分、日常生活の中にも様々な出来事があり、心のひだや、論理的に考えると政治経済社会・・・等も含め存在するが、それらは見ようと努力しないと、見えてこないようだ。
実際、少し前になぜか短歌や俳句を詠みたい気になったが、そのときはちょっとしたことにも何か感じるところがあった。(うまい、下手は別にして、たまにそういう時期が時々ある。)
今は、なぜか分からないがそのような気持ちがわかないし、あえて見ようともしていない。
やはり、いつも様々なことを見るように、意識する努力を継続するしかないのだろう。
確かに、先ほどまで平凡すぎて何も書くことがないなと思っていたら、何かを見ようという思いで掘り起こせば見つかった。

そういう見方で昨日の出来事を振り返ると、二つの印象に残ったことがあった。
一つは、ツバメである。
夕方、1kmほど離れたスーパーに行ったとき、スーパーの軒下に2羽のツバメが去年巣のあったところにとまっているのを見た。
真っ黒な羽が、美しくみずみずしく見えた。
今年始めてみたツバメである。
多分初飛来はもっと早かったのだろうと思う。
去年の親鳥か若鳥か分からないが、又戻ってきて長旅ご苦労様、という感じである。

はじめ2匹が並んでいたが、一羽が巣から少し離れたところに移動、残りの一羽は巣に潜り込んで、居心地を確かめるように、しばらくの間巣繕をした後巣を飛びだった。
又秋になるまで、1-2度子育てをして再び秋に、南へ旅立つのだろう。

もう一つは、夕方からファストフードで読書していたが、司馬遼太郎の「韃靼疾風録」の上下2巻を読了した。
清の胎動期から成立までを描いていた。
小説の中にも、作者が取材した歴史的なことが随所にちりばめられていて、読んでいて楽しかった。

更にあとがきでも、様々なことが語られていた。
この小説を書くのに、司馬さんがモンゴル語を学んでいたことが大いに役立ったようだ。
この小説を読んで、満州が地名でなく、女真人の王であるホンタイジ(太宗)が女真という呼称を嫌がり、民族呼称として自分たちのことをマンジュ(満州)と称していたことを知った。

小説の中では様々な歴史的知識や民俗学的知識が語られていた。
例えば、満州は、文殊菩薩から来たらしい。
そして彼ら女真人は、清朝成立以前に一時後金とも国名を名のったが、愛新覚羅のアイシンは満州語で金という意味だそうだ。
清朝成立時、満州人の人口はたった5-60万人程度で、億単位の中国を統治したという。
人数の少なさを解消するために、女真軍の軍隊は、女真人とモンゴル人と漢人の3つの部隊で構成されていたという。

朝鮮と日本や女真人の関係も触れられていた。
朝鮮の人たちにとって、中国が儒教の教えから中心の尊敬すべき見習う国で、日本を含む周辺国は、朝鮮より下等の野蛮な国としてあったという。
それが、秀吉の朝鮮出兵以来、日本は下等な最も卑しい国と認識されるようになったという。
江戸時代の朝鮮通信使の頃の朝鮮の知識人たちは、日本人を動物に似た扱いで認識していたという。
17世紀の申維翰(しんいかん)という人が書いた日本紀行「海游録」(平凡社「東洋文庫」)の著述に、日本人に対する彼の見方が出ているという。
そういう意味で、朝鮮人の反日意識は、植民地時代よりはるか以前の歴史的な背景の上に、植民地時代の屈辱が加わった、非常に強いものであることも初めて知った。

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不用品をバザー品として送るための参考情報

2013年04月15日 16時28分59秒 | 読書・考察・思索録
昨日、関口さんという方から下記のコメントをいただきました。
『豊能障害者労働センター』(http://www.tumiki.jp/bazar.html)という団体では、5つのリサイクルショップを経営されていて不用品があれば、受け入れますということでした。念のためHPを確認すると社会活動をしっかりと展開されている団体のようなので、改めてこのブログ上でお知らせさせていただきます。
因みに、以前何度か行ったことのある現代美術ギャラリーZone(http://www.art-gallery-zone.com/gallery.htm)も箕面の桜井市場にあって、『豊能障害者労働センター』グループの「リサイクルショップふだんぎや」さんも同じ市場内にあるようです。
そういえば、市場内に古道具屋さんのようなユニークな店があったことを覚えれいます。


以下関口さんから寄せられたコメントです。
初めまして。不用品をもったいなくて捨てられない気持ちにとても共感します(^_^)/
 それで、いきなりですが、不用品をバザー品として送れる場所をお伝えします。大阪にある、『豊能障害者労働センター』で、5つのリサイクルショップを運営して、バザー品はそこで売られています。売り上げ金は、主に障害者福祉に使われています。
 私も「ずっと長く使う」と信じて買ったものが、意外と使わなくなった、ということが、よくありました。以前はもったいないと思いながら、不用品を泣きたい気持ちで仕方なく捨てていましたが、今はここの労働センターに送れるので、とても嬉しいです(^^) それで、私と同じように、「使わないものを捨てられない」と悩んでいる人を助けたくて、多くの人に、この労働センターを教えているのです。
 バザー品の送り先のHPは http://www.tumiki.jp/bazar.html
です。ここでは、一般のリサイクルショップで引き取らない物や、他のバザー会場で売れ残った物も受け入れていて、それらはきちんと商品として販売されています。
 また、ここの送り先を気に行って下さったら、知り合いの方にも伝えて頂けると嬉しいです。私は一人でも多くの「もったいなくて捨てられなくて困っている」方々を助けたいので(^^)

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昨日記130414日(22/9晴 卍字楼で花爛漫展)

2013年04月15日 12時19分44秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日午後から、京都深草にある卍字楼に出かけた。
塔本シスコさん生誕100年記念の卍字楼で花爛漫展を見に行くためであった。

卍字楼は、普通の民家で、ギャラリー活動も不定期で多分たまに企画展のみを行っているといったほうが、良いかもしれない。
従って、展覧会に行く人も、展覧会に参加している作家の知り合いか、卍字楼の知り合いの関係者が多くなりやすいが、一般に開かれているので、展覧会期間中なら時間を守れば、誰でも行ける。

私は、何度も行っているが、間違わずにいけるようになったのは、ここ数回である。
駅からの距離も歩いてJRからだと、約10分近く京阪からだと15分から20分近くかかる。
案内状か地図があれば、多少迷ってもいけるが、なければ会場にたどり着くのは困難かもしれない。

展示会場は、普通の民家の畳敷きの部屋に作品を展示する形をとっていて、床の間にも作品は展示される。
照明も特別の照明はないので、場所により多少見にくい場合もあるかもしれない。
それでも、会場の表の日本庭園と裏の庭から差し込む光で作品は、ほとんど問題なく見える。

今回は塔本シスコさんの展覧会である。
シスコさんの展覧会には、昔ギャラリーをやっていたときに展覧会をしていただいたご縁があり、シスコさんの展覧会には何度も行っている。
何より、そのような繋がり抜きで、シスコさんの絵には魅力があるのだ。
それは、美術館でも美術館主催の個展を開いたり、美術館で海外を含む有名なアーリュブリュットの作家達と一緒に展示されていることを見ても分かる。
そのような権威付け抜きで、見ていて純粋に楽しいし、生命力あふれる絵を見ていてこちらも元気をもらえる。

当日4時過ぎに展覧会場に行ったが、玄関が沢山の靴であふれているのに驚いた。
展覧会場は、お客さんで満員だった。
イベントで琉球民謡演奏家(三線<さんしん:三味線ではない>と歌)で現代美術作家でもある幡俊弥さんのライブを行っていたのだ。
幡さんが三線を弾きながら歌う沖縄民謡の、ゆったりした音楽に1時間近くたっぷりと浸ることが出来た。
幡さんとは、ギャラリー時代に何度かお会いしたこともある。
参加者の中には何人か、画廊主や塔本さんご家族以外によく知る人も何人もいて、イベント終了後、パーティーが開かれ、飲食を楽しみながら話が弾んだ。
日が暮れだした頃、私はほろ酔い気分で卍字楼を後にした。


塔本シスコ生誕百年記念 「卍字楼で花爛漫展」(http://www.shisuko.com/?p=2102)

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私流の大地震対策を考えた。(訂)

2013年04月14日 23時34分59秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
(訂正:S波のスピードがまちがっていたので、訂正しました。<計算式は正しい値を使用>)20130415

3.11の後、あのような大地震が起きた時、とっさにどうするべきか、いつも頭の中でシュミレーションするようになった。

始めの頃は、揺れだすとすぐに、机の下に潜り込むことしか頭に浮かばなかった。
しかし、最近は、この長屋は古いだけに巨大地震で倒壊する可能性が高いので、とっさにもっと安全な場所に逃げ込むことを考えた。

今の段階では、一番安全な場所は、路地に出て家の横の駐車場である。
従って、揺れが大きいと感じたら、すぐに表に出て隣の駐車場に逃げることを考えている。

しかし、直下型で逃げる時間もない場合、上がり框やその踏み台と、玄関の土間の間の隙間に逃げ込めばよいと考えている。
上がり框(あがりがまち)である三畳間と玄関の間のガラス障子の敷居まで、玄関の土間から約50cm近くの高さがある。
上がり框の敷居の下は、レンガ積みの土台の表面にコンクリーを塗っているので、屋根が落ちても多分重さに耐える。
更に玄関の土間と、上がり框の間に、高さ30cm程の踏み台が作ってあるので、その隙間に逃げ込めば、とりあえず建物に押しつぶされて圧死することはなさそうだ。

ということで、今後家に居るときは、突然大きく揺れる直下型地震の場合は、時間がないので、とっさに玄関の上がり框とその踏み台のあたりに逃げ込むことにする。
南海トラフ等の巨大地震の場合は、我が家の場合計算すると15秒程度の余裕があるので、5秒程度の時間で貴重品を袋に入れ、その後服を持って玄関の引き戸を開いて表に出て、駐車場に逃げ込むことにする。
これは、起きている場合でも寝ている場合でも共通であり、これからイメージトレーニングをするようにしたい。
ただ、寝ている場合は、着替える時間はないので、服だけは持って出るようにしたい。

大地震が発生して逃げる場合の事前準備として、常に貴重品や水と非常食や懐中電灯やラジオを即まとめて逃げることの出来る同じ位置に置いておくことも大事だろうし、自分で数ヶ月に一回程度非常収納物を収納する演習も実施しすることも必要だろうと思う。

ついでに、南海トラフ型の大地震の場合逃げることの時間を計算してみた。
家から、紀伊半島沖の震源までの距離を300kmとすると、伝わるスピードの速いP波の最も遅い場合の時間と、スピードの遅いS波が最も早く伝わる時間差が、小刻みな揺れを知ってから、大きな揺れが来るまでの最小時間となる。(従って通常はそれ以上の余裕時間ができる。)

P波の速度は5-7km/秒なので、P波が到達するまで、最長で300/5=60秒 (小さな上下動)
S波の速度は3-4km/秒なので、S波が到達するまで、最短で300/4=75秒 (大きな横揺れ)
で伝わる。
P波の小刻みな上下動の微震動を感じてから、S波の大きな横揺れが来るまで、最短で15秒のタイムラグがありそうだ。
先に書いたように、15秒あれば、貴重品と服としっかりした底の厚い靴を持って家を飛び出して外に逃げ出巣ことが出来そうだ。
繰り返しになるが、事前にすぐに持ち出すものを、極短時間でナップサックに詰め込めるよう配置しておくことが鍵になることは言うまでもない。

津波等の備えは、地震が収まってからの話である。

参考
ウイキペディア 地震波(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E6%B3%A2)
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昨日記130413土(15/6晴 M6.3の大地震 工業高校同窓会 酔い覚ましの散歩)

2013年04月14日 13時17分34秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日、寝床で夢を見ていると、地震で目覚めた。
がたがたと揺れていて揺れも大きい。
即飛び起きて、いつも頭の中で緊急事態を想定して対処を予定している行動をとった。
そのまま布団から這い出し、3畳の間と玄関の間のガラス障子を開け、玄関の入り口の引き戸の鍵を開け、引き戸を開らき、パジャマのまま表に飛び出た。
多分この間数秒で終えたと思う。

玄関の入り口の引き戸の扉を先ず開かなければ、万一家が変形したり倒壊する時は、家の中に閉じ込められ、その中で負傷したり死んだりする可能性があるのだ。
表では誰も出ていなかった。
すぐに玄関に入り地震の揺れの様子を見ながら玄関の踏み台に座った。
地震が終わったので、玄関を閉め、TVの地震速報を見た。
やはり、それなりの大きい地震だった。
ひとしきり地震速報を見て、再び布団に潜り込んだ。
もう、眠ることは出来なかった。

その後、昼前から高校の同窓会に出かけた。
12時から阪急梅田駅横の飲食店で同窓会をすることになっていた。
大きなチェーン店なのだが、飲食店のひしめき合う梅田では、看板も目立たない。
事前にPCで場所を確認していたが、一瞬迷いかけたが、ほぼ迷うことなくたどり着けた。

出席者は、既にほとんど来ていた。
工業高校の同窓会は10年ほど前から、毎年この時期にやるようになり、電子工業科の5組6組の二クラス合同の同窓会であるが、そもそも電子工業科は、5組6組の2クラスしかなく、学年ごとにクラス替えが行われ、ほぼ全員一度はクラスメートになったか、もしくは顔見知りである。
休み時間中は、友達やクラブのメンバーを訪ね、クラス間で行き来しているものも多かった。

同窓会は、十数名の出席で電磁気学を教えていただいたI先生も来られていた。
人気図書にもなった電子物性論の本を執筆された下村先生は、数年前他界されたという。
その本は、我々が学生時代はゲラ刷りで教えてもらっていて、丁度工業高校を卒業した頃にその本が出版されて、当時の学会での最先端の知識と理論を分かりやすく解説したことで大学から高専や工業高校にも人気があり、多分20年以上売れていたと思う。
当時我々は、工業高校でありながら、文字通り最先端の技術を学んでいたのが自慢である。
(学生当時は、自分達がどんなことを学んでいるか分からなかったが、技術者になって過去を振り返ると、大学に匹敵する高度な技術を学んでいたことがよく分かった。事実、当時学んでいたことの参考書は、本屋に行っても見当たらなかった。)

出席した同窓生の中で、阪大から民間企業に就職しその後大学教授になったK氏は数年前に大学を退職し、確か、民間企業から京大の研究所に入り、その後原子力関係の助教になった、N氏は先週退官して、今も研究所から問い合わせの連絡が来ているという。
それ以外に、今回欠席したが、阪大で教員をしている同窓生が一人いる。(多分退官している?)

この同窓会の出席者の中に、女性も3人いる。
彼女等とは同じクラスになったことがない。
当時工業高校には、女性はいなかった。
彼女等は女性技術者の先駆者でもある。
以前の同窓会では、当時の技術の現場での女性差別の話を聞いた。
設計できる能力がありながら、お茶くみや図面焼きをさせられたりしたという。

彼女達は退職後も色々活動していて、NPOの理事長をしていた人もいる。
昔話や、今の近況報告で盛り上がり楽しく過ごせた。
メインの、同窓会は会費3500円で精算後6414円あまったので、東日本大震災へ寄付することになった。
その後、2次会を、喫茶店でやって夕方お開きになった。

私は、友人達と別れて、酔い覚ましを兼ねて、ワインパーティーをしているところがあると記憶していたので、訪ねていったら誤りだった。
その後天神橋筋の古本屋へ本を探しに出かけ数軒の古本屋を回ったが、目的の本はなかったが、掘り出し物を見つけたが、買わずに帰った。
歩いた距離は、約4kmでよい覚ましには程よい運動であった。

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昨日記130412金(14/7晴 プール クロールでトータル約500m キッヅダンス)

2013年04月13日 10時37分42秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日も、よく冷え込んだ。
食材の買物に出ることもなく、ほとんど家に居た。
外出したのは、プールに行ったときだけだ。

プールには4時過ぎに行った。
やはり、幼児や学童が多かった。
水曜日は、本当に幼児であふれかえっていて、付き添いの若いギャルと見分けのつかない母親も多くいた。
こんな母親に育てられると、母親のコピーが育つのだろうなと思う。
プールはまだ良いが、ジムのそばにある部屋で行われるキッヅダンスに通うクラスの母子(多くが女の子)は、母親も、ファッションがキャバクラ嬢かヤンキー系統に近い人が多く、娘の服装も派手である。
見た目は楽しく華やかだが、会話や振る舞いもヤンキー調に近いので、大人になってもその調子で進むのだろうなと思った。
こうした見方は、私の偏見が入っていると思うが、そうした事情をさし引いても、若いお母さんの子供にたいするしつけは大丈夫かと心配になる。

しかし、私の若かりし頃を振り返ると、ロカビリーや石原裕次郎や小林旭にあこがれたり、愚連隊や暴走族や、やくざといったアウトローにあこがれた若者が、少なからずいて大人から近頃の若者はと言われたりしていた。
又私が、30代の頃は、新入社員の世代は新人類といわれ、礼儀作法も知らずマイペースなので、ベテランとのコミュニケーションがとりにくかったりして、何を考えているのか分からんといわれたものだが、そうした人たちが今会社の幹部となって、古い先輩達に近い価値観で動いている。
このように見ると、人間の本質は、すぐには変わらないが、環境や教育で各自の持っている価値観や性質や振る舞いが変わるということだろう。
人間は、個人の価値観で、振る舞いや行動も変化するが、価値観は教育や環境・情報で変化する。

今まで考えたことを基にして冷静に振り返ってみると、今キッズダンスに通っている親子達を見て瞬間的に派手で大丈夫かと思ったが、私の若いときのロカビリーやたけのこ族に関連した現象と変わりないように見えてきた。

余談が長くなったが、昨日はプールで約500m程クロールで泳いだ。
それ以外に、長い間泳いでなかった、バタフライで25m泳いだが、動きが良くない。
バタフライは練習が必要だ。
クロールでは、手を伸ばして水をキャッチして手先部分から顔の位置ぐらいまでの距離の水をかくことで、主な推進力が得られるが、そのための筋力がまだ、かなり少ないようだ。
そのため、100m120秒の壁が破れない。
(一昨年までは、顔から腹部までの位置の水をかくことで、推進力を得ていた。)

プールから帰宅後、いつものように、ファストフードに行き、ゆっくり小説を読んだ。
かなり速読に近い状態で読んでいるつもりだが、読むスピードは1時間で60ページも進まない。
もっと早く読めるようにしたい。
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サイドビジネス失敗記(背取りの巻)

2013年04月12日 15時54分29秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
自営業時代に、確実にできるサイドビジネスという言葉につられて、サイドビジネスをやったことがある。
趣味と実益を兼ねて、古本のサイドビジネス(背取り)をしようと、わざわざ産創館の講習を受けて、チャレンジしたのだ。
その手法は、古本屋を回り価値ありそうな古本を見つけて購入し、アマゾン等のネットで販売するのだ。
これで月に数万円から数十万円の収入が得られるという。

そこで、実際1ヶ月余り本格的に古本屋通いをした。
そして講習会で習ったとおり、ネットで販売した。
確かに少し売れたし、コツも見えてきた。
だが、もっと売るには関連した本も揃える必要があり、分野を決めてその分野に読者と同じ程度の専門知識がないと、いい仕事にならない。
その上、古本屋の店内を見回すと、同業者らしいやからが、携帯やメモ片手にうろついて、本をパラパラめくって中身を確かめているのに頻繁に出くわす。
競争が激しいようで、多分いい本はライバルらしき人にすぐに買いとられる。
2ヶ月近くやった結果、古本の在庫がかなり増え、置き場所もコンテナに入れて数個分になり、狭い家で置き場所にも困るようになった。

更に、買ってきた古本の値札をはがし、紙やすりやベンゼンで汚れを落とし、本が傷まないよう、そしてすぐに出荷できるよう一冊ずつラッピングするので、かなり手間がかかる。
その割りに、利益は一冊売ってせいぜい数百円で、数を売らなければ商売にならない。
そんなことをするなら、アルバイトをした方がよほどましである。
そういうわけで、背取りビジネスは2ヶ月ほどで失敗に終わった。

ただし、背取りをする人が、その分野の専門家とかオタクで、本人がそうした文献や本を大量に所有たり読む場合は、その分野での目利きが出来るので、貴重な本とか専門的な人やオタクが欲しがりそうな本がたまに売れずに捨て値で出ている場合がよくあり、付加価値の高い本を見つけやすく、サイドビジネスとして成立する可能性があるようだ。

因みに、産創館での「背取り」の講習の講師の人は、IT技術のプロで、業界の本とそれ以外の趣味のことに精通していて、最低でも毎月10万円以上の収入を上げていて、通帳も見せてくれた。(4-5年以上前の話です。)


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参考ブログ集 散歩者gooより

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昨日記130411木(13/7晴 気候不順による服の管理 ジム時速10km7分 時速9.5km18分 )

2013年04月12日 11時47分34秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、更に冷え込んで、少し寒かった。
最近は、初夏の服装をしたかと思えば、3月に着ていたものを引っ張り出したり、服装の管理が大変である。

私が一人暮らしになってからは、6畳間の居間の東西の出入り口の鴨居にプラスチックパイプのさお竹を渡し、そこによく使う下着から上着までハンガーで掛けている。
洗濯物もそこに掛ける。

今数えると洗濯物を除き40着以上の衣類がかかっている。
いらない季節のものは、2本の洋服ダンスに収納しているがそれぞれ一杯である。
今は、夏物と真冬用のものが、洋服ダンスに納まっている。
よく見ると、最近袖を通したことがないものも多いが、なかなか捨てられない。
そうかと思えば、袖のほころびたものも着ていることがある。
若い頃の服も着れるものは、今でも着ているが小さくて入らなくなっている衣類が多い。
衣類で不要なものは、かなりありそうだ。

衣類だけではない、本も大量にある。
ギャラリー廃業前後はお金に困り、大量の本を古本屋に持っていって売り、かなり減ったが、それでもまだまだある。
更に、その後、自営業時代にサイドビジネスで「背取り」(別ブログで投稿予定)をやったおかげで、本は更に増えた。
古本は、図書館に寄贈しようかと思う。
毎月購読していた考古学の専門雑誌も多い。
本も衣料も、処分をして室内をすっきりさせたい。

昨日記に、気候不順のことを書こうとしているうちに長くなり、結局「地球温暖化問題と過去の気象変動(追・修)」というブログを書いてしまった。(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/8b50c6727dd6036c33956782eef5339f)
このテーマに関しては、以前にもNHKTVのネタをもとに書いた記憶があるが、昨日書いたブログは、投稿後も調べていて問題が色々あったので、何度も夜に修正を加えた。

夕方からジムに行きランニングをした。
前回のランニングリタイアに懲りて、時速10kmの走りを7分?に短縮し、時速9.5kmで、18分間走り、トータル25分間約4km弱走った。
それでもかなり苦しかった。

夜は、いつものように、3食分の調理と、食事や後片付けに追われた。




参考
私の家(長屋)の東西に並んだ、3畳の間と6畳間を仕切る襖の上の鴨居(襖や障子の上の溝の部材・下の溝の部材は敷居)の上のは、欄間(らんま 鴨居の上の開口部 飾りをはめ込むことが多い)になっていて、私が幼い頃は太い飾り用の竹が入っていた記憶があるが、いつの頃かなくなった。
6畳の間の西は室内用のガラス障子があり、その西は廊下兼用の縁側で裏庭とはやはりガラス障子で仕切られている。



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地球温暖化問題と過去の気象変動(追・修)

2013年04月11日 16時16分41秒 | 科学・技術・ICT関連
最近は、寒暖の差の激しい気候が続いている。
異常気象のニュースも日常化した観がある。
異常気象の問題は、地球温暖化・フロン・CO2規制の問題の一つとして議論された。

地球温暖化が始まる前に、TV等で温暖化が始まるとどうなるかといった特集が放送され、その原因物質であるフロンが規制され、CO2の排出量が世界的に規制された。
当時からCO2排出規制と原子力利用や南北格差問題は、問題になっていて、今も世界的な政治的課題でもある。

ところが、現在既に温暖化は起きている。
北極海の氷が溶け、氷河が大きく後退し、日本でも生物分布で、南限や北限のラインが北へ移動しつつある。
百年に一回クラスのハリケーンや台風・サイクロンの発生、記録的な大雨、大干ばつ等々数え上げればきりがない。
現実に、異常気象が頻発するという科学者の予測は、見事に的中したと言ってよいだろう。

当時地球は寒冷化する可能性があるという科学者がいた。
そのときは、CO2による温暖化の議論が中心であった為、誰もそのような話に乗らなかった。
私もその科学者は、胡散臭いと思っていた。
当時の議論では、地球の平均気温が1-2度上昇すれば大変なことになるということだった。
事実それは間違いないであろうし、現にわずかな気温上昇で異常気象が頻発している。
だが、胡散臭いと思った科学者の過去のデータに基づく指摘は間違いではなかったのだ。

考古学関係の本を読むと、縄文時代以降地球が温暖化していて、それ以前はマンモス等のいた、かなり寒い時代であったことを知った。
しかも、歴史的に見れば、地球の平均気温はかなりの幅で、変化している。
地球温暖化で騒いでいるようなレベルでないことが分かる。
例えばウイキペディアの「過去の気温変化」の中の「過去80万年の記録:氷床コアによる更に長期の記録」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%81%AE%E6%B0%97%E6%B8%A9%E5%A4%89%E5%8C%96)を見れば、最近の80万年で見れば、8度近い幅で平均気温が変化していることがわかる。

そもそも、気候変動の原因に関する最新の学説(仮説)の一つとして、気候変動の原因は日照時間に関係し、日照時間は雲の発生量によるもので、雲の発生量は宇宙線の量と関係がある、という説が唱えられている。(地球に降り注ぐ宇宙線の量の変化は、太陽活動や地球の磁場と関係する。)
太陽の活動により太陽系の磁場が変化し外部から太陽系に侵入する宇宙線の量が変化したり、地球の磁場の変化で、宇宙線に対する地球のバリアが変化するのだ。
それ以外に、太陽からの熱線の変化もあるし、太陽から放出される太陽風(宇宙線)も地球の雲の発生=気象の変化に影響する。

このように考えると、逆に今までのような安定した気候そのものが、珍しかったのかも知れない。
1度や2度といった地球の平均気温の変化を問題にするより、はるかに大きいスケールで、我々地球の気象は宇宙からの影響を受け変化している可能性を、知らなければなるまい。
少なくとも、今後太陽活動がどのように変化するか予測できないので、未来の気象は分からないということだろう。
ましてや、日本の美しい四季のある風景は、奇跡だったのかもしれない。
今後、人類は更なる気象の激変もあって当然、という考えで生きる必要があるのかも知れない。

ただし、上記の宇宙線と気候変動の関係は、学説として認められてはおらず、仮説の段階であるという。
しかし、過去に原因は不明であるが、想像を超える大きな気候変動が、繰り返し起きていることは事実である。



参考(以下宇宙線と雲の関係について賛否両論あげておく。宇宙線と気候変動の関係は、まだ明確な結論は出ていないようだ。)
ウイキペディア「スベンスマルク効果」

宇宙線が雲を作るメカニズム」の一部を欧州原子核研究機構 CERN が解明(http://oka-jp.seesaa.net/article/222447948.html)


地球温暖化と宇宙線(http://blogos.com/article/3447/)


太陽活動と気候(4):宇宙線とCLOUD 実験(http://blog.scienceweb.jp/?eid=136669)


太陽の活動と気象の変動(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/f3fe9e9f212fc89c4a0dd634e804b523)


巨大竜巻・集中豪雨と地球温暖化、そして原子力 (http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/78e9a670d178e8366a697f980fad05a3)


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昨日記130410水(14/9晴 ネットトラブル プール )

2013年04月11日 12時03分55秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日から急に冷えだした。
今朝も肌寒い。
異常気象に違いない。
この話は長くなるので、別ブログに記載する。

昨日朝から、PCの調子がおかしくなった。
ウイルスソフトの更新処理をしてから、自動再起動をかけずにわざと手動で電源を切り、再起動させるとネットがうまくつながらなくなった。
無論、手動で電源を切るときには、即時全電源遮断という強制遮断ではなく、PCで自動的に行われる遮断プロセスを踏んだデーターに安全な電源遮断をしている。

その原因はすぐに見当がついた。
ネットを接続すると、グーグルクロムでは・・・という文言が表示された。
ウェブブラウザのフレームは、インターネットエクスプローラーのままである。
私は、ネット接続にはインターネットエクスプローラー(IE)を使用しているが、一部表示されない画像があるため、グーグルクロムのアイコンもデスクトップに置いていて、常用はエクスプローラー(IE)にして、グーグルクロムでも見ることができるようにしている。

インターネットに関しては一度グーグルを常用にしたことがあったが、お気に入りの処理が都合が悪いので、インターネットエクスプローラーに戻したいきさつがあった。
それで両方の良し悪しを知っていて、グーグルも応答が早く問題はないが、やはりお気に入りの扱いが気になるのだ。

とにかく動かないので、関係しそうなプロパティーを引き出して、デフォルトになっていたウェブブラウザをI.E.(インターネット エキスプレス)にした。
はじめはうまく行かなかったが、再起動すると、今までどおり問題なくネットに接続することが出来た。
この処理で、もし治らなければというあせりから、朝から冷や汗をかいた。

その後、朝に昨日記をかいて投稿し、午後からは、レシートの整理を少ししてから、以前に昨日記の記事に関連して書いていた仏教関係のことに関してブログにまとめ投稿した。

夕方からは、再びジムに行って走るか、プールに行くか迷った。
疲労や筋肉痛も無いので、走れる自信はあったが、過去の事例を見る限り、疲労が無い様でも、走ってみると体に影響があることを経験しているので、プールに行くことにした。

プールは幼児子供水泳教室で、超満員だった。
大人が使えるレーンは3レーンのみという状態だ。
それを、水中歩行の人と、初心者の人と、長距離泳げる人に各レーンを配分していた。
幸い、昼から夕方は大人が少ないから問題がないが、逆にこの時間帯が混むのを嫌がり大人の人は、他の時間帯に移動している可能性もあるのだ。

多分大阪市営の、ジムやプールは上下分離方式で、施設の所有を大阪市で行い経営を民間に委託していると思われるが、公共施設で、利益中心に走るのはいかがかと思われる。
これを書きながら、大阪都問題や道州制について考えた。
大阪市の解体そのものが問題かもしれないと思っている。

余談が長くなったが、プールでは、クロールで約500m泳いだ。
久しぶりに泳ぎ、気持ちよかった。
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仏教の般若心経と大乗・小乗仏教の違いについて(追)

2013年04月10日 17時02分57秒 | 人文科学・哲学・宗教・人生・生き方
仏教の経典や歴史に興味を持ったのは、20代の中頃は休みの日に、暇つぶしに京都や奈良の名所旧跡を歩いた。
それが、きっかけで仏像に興味を持ち古寺を回わり、和辻哲郎の古寺巡礼他、亀井氏や佐和氏の仏像の心と形関係の何冊かの本を読んだのが、経典や仏教へ興味を持ったきっかけだった。
その後は、西洋哲学やバロック音楽の関係でキリスト教にも興味が向き、仏教関係や東洋哲学に接することは少なくなった。

その後、20代終わりに失業しているときの暇つぶしに、発掘調査のアルバイトをしたことがきっかけで、考古学や文化人類学に興味を持った。
考古学では飛鳥以降に仏教関係の遺跡が増えるので、それに関連して改めて仏教も注目するようになった。
更にシルクロードブームのときに、仏教に関する関心が高くなり、お経関係の本も読んだりしたが、未だに仏教の歴史と宗教の本質が良く分からないまま、現在に至っている。

ところが先日、NHKTV番組の100分de名著の「般若心経」のテキスト(90ページほど)を、数時間で一気に読了した。
番組は見てなかった。
本の内容は、お経の内容の解説だけでなく、お経の成り立ちと、上座部仏教=大乗仏教の本質とが書かれていた。
興味があって、仏教経典に関連した、新書版の本も読んだが、今回読んだ内容は衝撃的だった。

このテキストの著者(佐々木閑)によると、釈迦の唱えた仏教と、般若心経は全く別物だという。
釈迦は涅槃を目指すためには、一切の業(善悪を含む)を捨て、煩悩を消す生活スタイルを求めたという。(自分を変える)
即ち「自利」=悟りに近づくために、自分の煩悩を消すための修行をすることである。
釈迦は、現世的善行は業を生むから涅槃を目指すものは、世俗の善行もしてはならないといったという。

しかし、大乗仏教では修行しなくても業の因果則から逃れられるアイデアを考えたという。
即ちそれが利他や廻向(えこう)という考え方だという。(徳を積む)
出家しなくても善行を積めば悟りが開かれるとした考えという。
そして般若心経に神秘主義を持ち込み、般若心経の最後の呪文を唱えることで救われる形になったという。
このように見ると、大乗仏教の成立過程にも興味がある。
(釈迦の死後数百年後に仏教教団の会議があり、上座部と小座部に別れたという。)

多分、この話はタイやスリランカ等の東南アジアの小乗仏教と、中国・朝鮮・日本の大乗仏教との根本的な違いなのであろう。(小乗仏教には般若心経はない。)
大乗仏教には、お釈迦様以外に多くの仏像(大日如来 阿弥陀如来 薬師如来・・ )があるし、それを表現したマンダラもあるが、小乗仏教はどうなのだろう。
薄い本であるが、根本的な問題をうまく説明していると思うと共に、この著者の分析が正しいとすると、同じ仏教でも、大乗仏教と、小乗仏教が大きく違うということがわかった。

仏教は、言うまでもなく日本文化の根底をなす要素の一つであり、意識的・無意識的に係わらず、日本文化や我々の意識や行動に大きな影響を与え続けている。
日本文化の基層を考えることは、日常にその影響下にある我々日本人の行動・意識・思想そして、これからの在り方を考え分析するときに大いに参考になる。

今後も機会があれば、西洋哲学と並行して仏教関係の本も読んでみたい。

参考
大乗成立過程と、スリランカ伝経典の来歴について。(中身の非常に濃いブログであるが、専門的過ぎてよく分からない)
以前のブログが無くなっていたので、同じタイトルのブログを探しリンクを貼っています。<2017年3月29日>

末尾にリンクしたブログ「宗教を語る」は大学の研究者が書いたものかも知れませんが、参考になる部分が多いので紹介しておきます。(著者に関しては末尾にコメントを記載しています)
全体的に学術的に書かれているように見えますが、別の専門分野から見ると、そこまで言い切れるのかなと思われる記述や、陰謀説や小説に近いものも少なからずあります。また新興宗教に関する批判の記述や、韓国関連の記述等も、かなり特定方向の価値観によるバイアス(個人的信念?)に基づいた意見である可能性も否定できないと思っていますし、その論拠が明確でない部分も多くあります。この感想については、私はこのペンネームの著者の記述内容に関してはほとんど無知であり、あくまで単なる私的感想であることを申し述べておきます。
宗教や芸術は論理ではなく価値観で支配されているので、どれが正しいということはできないと思っています。
(価値観<民族意識や宗教観も含む>は信念や信仰や好みと同じで、論理・理屈ではなく比較できない。<例えばジャズとクラシック音楽と演歌のどれが優れているということは、好みの問題で優劣の比較はできない。文化に関しても同じで、文化人類学的視点に立てばよくわかる。>歴史学は価値観ではないが、その立証には文献批判や考古学からの論証が必要。近年各種年代観も、そうした新しい物証の発見により大きく変化している。)
(この著者は禅宗関連の学者ないし宗教者ではないかと勝手に想像していますが、研究グループがグループで作成した可能性もあります。しかし、参考文献を分析すると一般書も含まれているし、内容に上記のように学術的でない断定も多くみられ、思想的に偏ったところもあり、著述家集団と一部宗教家や研究者が集団で作った可能性も否定できません。)
宗教を語る


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参考ブログ集 散歩者gooより



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昨日記130409火(18/10晴 ジム 時速10km10分 時速9.5km5分)

2013年04月10日 11時52分54秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日午後からジム・プールの共通定期を買いに行き、そのままジムでトレーニングをした。
体調は悪くなかった。
前回同様、始めにじそく10kmで走り。その後時速9.5kmで走る予定だった。

いつも走る前にウォーミングアップとして時速5kmで約1分歩くが、よく考えると余り意味がなさそうに思えた。
そこで昨日は、新しいことをしてみようとした。
時速10km11kmでそれぞれ1分間ずつ走った。
それほど息も上がらず、足の筋肉への負担も感じなかった。
その後、トレッドミルを一旦止めて、今度は、時速10kmで走った。
10分間何とか走ったが、限界に近かった。
その後スピードを10kmから9.5kmに下げたが5分しか走れず、息が上がりトータル15分間走ってランニングを終えた。
記録を書くときに、前回の記録を見ると時速10kmで5分間走りその後時速9.5kmで25分間走っていた。
てっきり前回は時速10kmで10分間走っていると思っていたが、5分間だった。
どうりで、息が上がり苦しくて、いつもの半分の時間のトータル15分間でリタイアした理由が分かった。
時速10kmで1時間走れるようになるには先が長そうだ。
その後、筋トレをした。
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