多年草のキク科 の花だが名前はなんていうのか忘れてしまった。愛情不足だったため一輪のみアスター?といったような気もする。忘れた頃ひそかに咲いていると慌てて陽の当たる場所に鉢を移動してあげて忘れていてゴメン!と愛でる私である。
今日も雲の多い日曜日だ。もうすっかり家に腰を据えて出かける気分にはなれなくなった。掃除に明け暮れるのも疲れがくる。はりがなくて何となくだらけていると与作爺の機嫌が悪くなる。彼は常に動いている人なので私がのんびりパソコンなどで遊んでいたりテレビなどを見ているとだらしがないと言う。
一家の主婦は常に働いているものだと思い込んでいるので、その点が私とのずれがあるのだ。彼は幼い頃からずっと母親の横になって休んでいる姿を見たことがなく育ってきたので主婦は常に働いているのが当たり前だと思っている。
本当に義母は働き者だった。あの時代農家で7人の子供を育てて夜は遅くまで機織りの音が聞えていたという。休む暇などなかったことだろう。5人の娘の着物は母親が蚕を育て糸を紡ぎ機織りをして生地を作り着物を縫う・・・考えただけで一秒の暇さえないと分かる。その姿を見ながら育ってきたのが今の彼である。故にこの何事も中途半端な私を見ているとイライラするのは当たり前であろう。私の育てられた環境とは全然違いがあり考え方見方の違いは当然だと思う・・・だがそういう連れ合いに疲れるのだ。昨日から口も聞かずご飯もいらないという、理由は分かっているので料理はしないことにした。当分現状維持としよう。
私は貴方のお母さんではないのだよ。同じようには生きられない。疲れたら横にもなりたいよ。