8時の朝食も待たずに6時からの散歩もせずバス停に向かう。受付に「急用で自宅に帰ります後で電話します」と書いて散歩に行く出口からリックを背負いバスの停留所に急いだ。
何故そんな気持ちになったのか分からないが、ただ家に帰りたかった
家に着いたのは7時前まだ与作さんは朝ご飯前だったので、卵焼きで簡単に用意して一緒に食べる。病院に薬をもらいに来る時期でもあったので帰宅理由はそれにした。
一日目は残してある自分の衣類の整理や食材の買い物に明け暮れる。ヘルパーさんが週2回来てくれるので安心していたのだが、洗面所の水回りやお風呂の排水溝のカビが気になって仕方が無い・・・二日目はヘルパーさんが来る日なので掃除用の道具とカビキラーを用意して時々は掃除をして欲しいとお願いしようと思ったが、与作さんが舅婆さんのようなことをするなというのでやめた。脊髄骨折をしていなければ私がしたいよ。腰が曲がらないのだよ。でもそれを分かってはもらえないので自分でするしかない。
二人のヘルパーさんだって自分の家ではないのでそんな細かいところまでは気がつかないだろう。舅婆さんにならないためには24日くらいまで滞在することにした。
ケアハウスに移ってまだ2ヶ月しか経っていないのに与作さんの体の変化が酷すぎる。体型がS字型に曲がってしまい歩くのが大変になっている。杖なしでは無理である。
家での一人暮らしは無理であると息子や私がどんなに言っても聞く耳を持たないので離れていても心配で仕方が無い。四日目にはお風呂のカラ炊きをしてしまった。
台所で夕飯の支度をしていると突然給湯器からお風呂の栓に注意という声が聞えてきた。風呂場に居る与作さんには耳が遠いので聞えないのである。アブナイ!
栓をキチンとせず火をつけていたのだ。どうしたら自分の体力や思考力の衰えを自覚してくれるのだろうか。私の体は元には戻らないのだと言っても努力が足りないだけだという。
24日までの外出届なのでケアハウスに戻ってきたが体中が痛くて眠れない 朝の歩行練習もできない。私の飲んでいる痛み止めは抗がん剤の人の痛み止めと同じくらい強いクスリでそれを朝昼晩3回飲まなければならない状態なのである。後は手術だが高齢者の脊髄の手術はというと不安しかない。寝たきり状態かボケるか完全に治ると言う保証はない。
この花は最後の17日の朝の歩行練習時に写したもの
どうしたら前に進むことができるのだろうか。
与作さんのことを考えると心配事ばかりが増えて食欲もなく頭もボーとしてなくし物ばかりしている。このトンネルいつ出られるのかな?出たいよ!歩きたいよ!