中堅のKU氏とはよくクルマのことで話をする。
氏もかつてはオペル・アストラに乗っていた経験があり、輸入車特有の現象についてはよく分かっているようだ。
自らはホンダのアコード・ユーロRに乗っているから、日本車とはいえ依然としてヨーロッパ志向であることは間違いない。
私が今のプジョー206に替えてから間もなく二ヶ月が経つが、週明けともなると必ずどこか行ってきたかどうか聞いてくる。
週末の行動を氏に報告する義務などまったくないが、それほどクルマの話をしたいということなのだろう。
昨日の夜には帰りが一緒になったので少しだけ私のクルマの運転席に乗ってもらったら、ホワイトメーターや日本車よりは太いステアリングが気になったようだ。
ずいぶんと興味を示しているので、どうせならそのへんを動かしてもらっていいですよと言ったが明るい時間帯がいいということだった。
それなら明日の昼休みあたりはどうですかと振ってその日は帰った。
昼休みに食事を取った後は、氏はいつも自分のユーロRの中で過ごしている。
私はちょうど新しい自動車保険の証券が来ていたので事務所に写しを提出するためにクルマのところに行った。
前日言っていた通り、再び氏に乗っていいですからと振ってみたが、なぜか尻込みして乗らなかった。
前日206の運転席でエンジンを3000回転まで吹かした人が、持ち主がいいと言っていながら走らせることは結局しなかった。
ここまでのやり取りがあって半分は「やっぱりか」という思いになった。
これまで氏から食事に行こうとかドライブに行こうとかという言葉を何度聞いたか分からないくらいだが、今の今まで一度として実現したことはない。
私から見れば立場は上だし、本当にその気があれば簡単に押し込める話だと思うのだが、こちらから逆に具体的な話を振ると何となくモゾモゾして結局は流してしまう。
要するに何もかもが社交辞令で、その気などサラサラないというのが実態だ。
それならなぜわざわざそんな話をしてくるかといえば、単に極度の寂しがり屋のため何か話していたい、ただそれだけのことである。
こういう人は、本当に自分の手で何かをつかむような体験を今後の人生の中でできるとは思えない。
これからいくら年齢を重ねても、どんなに本人なりにがんばっても、最後の最後は他人任せという性格が直らない限りは何もかもが実現しない。
社交辞令ばかりの八方美人をやったところで軽い人物と見られるばかりで得なことなど何一つないことに気づいてはいるのだろうが、寂しさを紛らせたい気持ちのほうが勝ってしまって誰にでもベタベタとくっついていってしまう。
氏は本当はそんな自分に疲れ果てていて、人付き合いそのものも面倒になっているのかもしれない。
ほかならぬ私自身が若い頃はそういう人間であったから、今の氏の苦しみは痛いほど分かる。
分かるけれど、生きれば生きるほど苦しくなるばかりの現在の状況を打ち破るのは本人にしかできない。
せっかく縁あって出会った人、四十代も半ばの今からでも遅くはないからもう少し気楽に生きられる方向にぜひ脱皮していってほしいと切に願うところである。
氏もかつてはオペル・アストラに乗っていた経験があり、輸入車特有の現象についてはよく分かっているようだ。
自らはホンダのアコード・ユーロRに乗っているから、日本車とはいえ依然としてヨーロッパ志向であることは間違いない。
私が今のプジョー206に替えてから間もなく二ヶ月が経つが、週明けともなると必ずどこか行ってきたかどうか聞いてくる。
週末の行動を氏に報告する義務などまったくないが、それほどクルマの話をしたいということなのだろう。
昨日の夜には帰りが一緒になったので少しだけ私のクルマの運転席に乗ってもらったら、ホワイトメーターや日本車よりは太いステアリングが気になったようだ。
ずいぶんと興味を示しているので、どうせならそのへんを動かしてもらっていいですよと言ったが明るい時間帯がいいということだった。
それなら明日の昼休みあたりはどうですかと振ってその日は帰った。
昼休みに食事を取った後は、氏はいつも自分のユーロRの中で過ごしている。
私はちょうど新しい自動車保険の証券が来ていたので事務所に写しを提出するためにクルマのところに行った。
前日言っていた通り、再び氏に乗っていいですからと振ってみたが、なぜか尻込みして乗らなかった。
前日206の運転席でエンジンを3000回転まで吹かした人が、持ち主がいいと言っていながら走らせることは結局しなかった。
ここまでのやり取りがあって半分は「やっぱりか」という思いになった。
これまで氏から食事に行こうとかドライブに行こうとかという言葉を何度聞いたか分からないくらいだが、今の今まで一度として実現したことはない。
私から見れば立場は上だし、本当にその気があれば簡単に押し込める話だと思うのだが、こちらから逆に具体的な話を振ると何となくモゾモゾして結局は流してしまう。
要するに何もかもが社交辞令で、その気などサラサラないというのが実態だ。
それならなぜわざわざそんな話をしてくるかといえば、単に極度の寂しがり屋のため何か話していたい、ただそれだけのことである。
こういう人は、本当に自分の手で何かをつかむような体験を今後の人生の中でできるとは思えない。
これからいくら年齢を重ねても、どんなに本人なりにがんばっても、最後の最後は他人任せという性格が直らない限りは何もかもが実現しない。
社交辞令ばかりの八方美人をやったところで軽い人物と見られるばかりで得なことなど何一つないことに気づいてはいるのだろうが、寂しさを紛らせたい気持ちのほうが勝ってしまって誰にでもベタベタとくっついていってしまう。
氏は本当はそんな自分に疲れ果てていて、人付き合いそのものも面倒になっているのかもしれない。
ほかならぬ私自身が若い頃はそういう人間であったから、今の氏の苦しみは痛いほど分かる。
分かるけれど、生きれば生きるほど苦しくなるばかりの現在の状況を打ち破るのは本人にしかできない。
せっかく縁あって出会った人、四十代も半ばの今からでも遅くはないからもう少し気楽に生きられる方向にぜひ脱皮していってほしいと切に願うところである。