今日も特に遠出もせず近場の買い物などで過ごした。
したたか花粉が付いた愛車を洗車して、その後はスーパーに行った。
久しぶりにJRAの馬券も買ったが荒れ気味の結果に終わり的中はしなかった。
JRAは震災支援競馬として開催した2週間分の収益の中から14億円を被災地向けに送ったという。
この節どこの団体がこれだけの金額を支援できるのか考えれば、過剰な自粛ムードがいかにバカバカしいものかが分かる。
再三書いているように、元気なところは元気に活動してお金を生み、できる範囲で支援に回せばよい、それだけのことである。
富山市ではこの季節、チンドンコンクールという春の風物詩的な催しがある。
今年はこれが中止になるということで、市のほうにも賛否両論の意見があるらしい。
富山市の森市長は自らのウェブサイトに時々エッセイをアップしているが、3月31日付けの記事で今回の中止についての根拠が明確に説明されていた。
昨晩訪れたN店では、特に裏付けもなく「なんで中止にしたんかね~」という話をしていたのだが、あれだけの説明があれば納得せざるを得ない。
登山やサックス、イタリア語など多芸多才な市長だが、文章を連ねることもお好きなようで、ややもすると重たい雰囲気の本欄とは違って適度に軽い文体には意外な印象さえ受ける。
他の市町村を調べたことはないので何とも言えないが、市長自ら率直な文体で「本音の部分」を発信してくれる市に住んでいるというのは幸せなことだ。
もう4月になったし、そろそろ富山市内の桜もほころび始める頃だが、昨日今日の感じではもう少し時間がかかりそうだ。
月曜以後の気温にもよるが、ちょうど次の土日あたりが見ごろになってくれたらいい。
4月の10日前後というのはほぼ平年並み、寒い寒い冬を越えた今年にしては遅すぎるということもなさそうだ。
N店のママさんからは今度お花見にでもとお誘いを受けているが、その時には私と同じくN店に世話になっているC嬢も一緒にと聞いている。
昨年末以来お店でも顔を見ていないが、同じような苦労をしながら生きてきた者どうし、また同い年でもあり、通じ合える部分はあるのではないかと思っているから、機会に恵まれた折にはいろいろと話をしてみたい。
ある意味不本意な経験も通して、今の時点でようやく自分らしい生活のパターンが見えてきた。
取り入れるべきもの、捨てるべきもの、それぞれがハッキリしてきて、これからごくごく自然な形であらゆるものが自分にふさわしいところに落ち着いていく予感がする。
できるだけ余計な荷物は下ろして身軽になり、本当に必要なもの、本当に大切にすべきものだけを信じて生きていくことが重要だ。
かつて他人が期待したような人生ではすでにないが、自分自身では今の状況が生きていていちばん幸せだと心から言える。
後はもう少しの「彩り」が加わるとなおいいが、ほどなくそちらのほうも目に見える形で実現していきそうな気はしている。
したたか花粉が付いた愛車を洗車して、その後はスーパーに行った。
久しぶりにJRAの馬券も買ったが荒れ気味の結果に終わり的中はしなかった。
JRAは震災支援競馬として開催した2週間分の収益の中から14億円を被災地向けに送ったという。
この節どこの団体がこれだけの金額を支援できるのか考えれば、過剰な自粛ムードがいかにバカバカしいものかが分かる。
再三書いているように、元気なところは元気に活動してお金を生み、できる範囲で支援に回せばよい、それだけのことである。
富山市ではこの季節、チンドンコンクールという春の風物詩的な催しがある。
今年はこれが中止になるということで、市のほうにも賛否両論の意見があるらしい。
富山市の森市長は自らのウェブサイトに時々エッセイをアップしているが、3月31日付けの記事で今回の中止についての根拠が明確に説明されていた。
昨晩訪れたN店では、特に裏付けもなく「なんで中止にしたんかね~」という話をしていたのだが、あれだけの説明があれば納得せざるを得ない。
登山やサックス、イタリア語など多芸多才な市長だが、文章を連ねることもお好きなようで、ややもすると重たい雰囲気の本欄とは違って適度に軽い文体には意外な印象さえ受ける。
他の市町村を調べたことはないので何とも言えないが、市長自ら率直な文体で「本音の部分」を発信してくれる市に住んでいるというのは幸せなことだ。
もう4月になったし、そろそろ富山市内の桜もほころび始める頃だが、昨日今日の感じではもう少し時間がかかりそうだ。
月曜以後の気温にもよるが、ちょうど次の土日あたりが見ごろになってくれたらいい。
4月の10日前後というのはほぼ平年並み、寒い寒い冬を越えた今年にしては遅すぎるということもなさそうだ。
N店のママさんからは今度お花見にでもとお誘いを受けているが、その時には私と同じくN店に世話になっているC嬢も一緒にと聞いている。
昨年末以来お店でも顔を見ていないが、同じような苦労をしながら生きてきた者どうし、また同い年でもあり、通じ合える部分はあるのではないかと思っているから、機会に恵まれた折にはいろいろと話をしてみたい。
ある意味不本意な経験も通して、今の時点でようやく自分らしい生活のパターンが見えてきた。
取り入れるべきもの、捨てるべきもの、それぞれがハッキリしてきて、これからごくごく自然な形であらゆるものが自分にふさわしいところに落ち着いていく予感がする。
できるだけ余計な荷物は下ろして身軽になり、本当に必要なもの、本当に大切にすべきものだけを信じて生きていくことが重要だ。
かつて他人が期待したような人生ではすでにないが、自分自身では今の状況が生きていていちばん幸せだと心から言える。
後はもう少しの「彩り」が加わるとなおいいが、ほどなくそちらのほうも目に見える形で実現していきそうな気はしている。