毎年秋には会社の健康診断がある。
これまでは職場での一斉診断日に参加していたが、その日には胃カメラのメニューがない。
バリウム検査でも特に悪いことはないし、一日職場を空けることにもなるからこれまで通りでもいいと思いつつ、胃カメラのほうが何となく「よりよい」感じがして別会場での受診を選んだ。
機械でも定期的に点検が必要なのと同じように、長年使っている体も一定のサイクルで点検が必要である。
この年齢になってくればどこかには必ずガタが来ているはずで、もし何かあれば対策をしなくてはならない。
とはいえ、自分の体のこととなると自覚症状のない状態ではなかなか重い腰が上がらないという感じで、去年の結果に対して十分な手を打ったとは恥ずかしながら言い難い。
再検査なり要治療なり、そんなメッセージに出会ったらすぐに何とかしようと思うまではいいのだが、なぜか日々に流されて放置してしまっているのが現状だ。
健康診断は絶対に必要なものではあると分かっていながら、何かが「分かってしまう」のが怖いという側面もある。
個人のことなので中身は避けるが、わが職場は平均年齢も高く、今年度の診断で何かが判明してしまって落ち込んだという人も何人かいる。
そういう人たちと私はせいぜい暦一回りくらいしか変わらないわけだから、私も何か思いがけないものが見つかってショックを受けるかもしれない。
最近はぐっすり寝ても寝起きが悪いことが増えているし、疲れが取れにくく感じてきたのは間違いない。
いやおうなしに衰えと闘わざるを得ない年齢に入って、こういう機会に修復可能なものはいよいよ早々に手を打つようにしていきたい。
何かにかかっても治りにくいとかこじらせやすいとかであったなら、体が資本の職場にも迷惑がかかる。
こういう機会の常として、すでにもう検査まではおなかに食べ物を入れられない時間帯に入った。
いつもしっかり朝ご飯を食べる私にとっては朝起きて何も口にできないのはつらい。
医学の進歩というなら朝がっつり食べても影響のない検査でも開発されればと思うのだが、それはゼイタクというものだろう。
せいぜい年に一度のこと、ガマンするよりほかはない。
やたらに朝が早いスケジュールでもあり、何か食べたい誘惑を断つ意味でも、またかんじんの診断当日に変な体調にならないためにも、今日は早々に横になって万全な形で診断に臨みたいと思う。
これまでは職場での一斉診断日に参加していたが、その日には胃カメラのメニューがない。
バリウム検査でも特に悪いことはないし、一日職場を空けることにもなるからこれまで通りでもいいと思いつつ、胃カメラのほうが何となく「よりよい」感じがして別会場での受診を選んだ。
機械でも定期的に点検が必要なのと同じように、長年使っている体も一定のサイクルで点検が必要である。
この年齢になってくればどこかには必ずガタが来ているはずで、もし何かあれば対策をしなくてはならない。
とはいえ、自分の体のこととなると自覚症状のない状態ではなかなか重い腰が上がらないという感じで、去年の結果に対して十分な手を打ったとは恥ずかしながら言い難い。
再検査なり要治療なり、そんなメッセージに出会ったらすぐに何とかしようと思うまではいいのだが、なぜか日々に流されて放置してしまっているのが現状だ。
健康診断は絶対に必要なものではあると分かっていながら、何かが「分かってしまう」のが怖いという側面もある。
個人のことなので中身は避けるが、わが職場は平均年齢も高く、今年度の診断で何かが判明してしまって落ち込んだという人も何人かいる。
そういう人たちと私はせいぜい暦一回りくらいしか変わらないわけだから、私も何か思いがけないものが見つかってショックを受けるかもしれない。
最近はぐっすり寝ても寝起きが悪いことが増えているし、疲れが取れにくく感じてきたのは間違いない。
いやおうなしに衰えと闘わざるを得ない年齢に入って、こういう機会に修復可能なものはいよいよ早々に手を打つようにしていきたい。
何かにかかっても治りにくいとかこじらせやすいとかであったなら、体が資本の職場にも迷惑がかかる。
こういう機会の常として、すでにもう検査まではおなかに食べ物を入れられない時間帯に入った。
いつもしっかり朝ご飯を食べる私にとっては朝起きて何も口にできないのはつらい。
医学の進歩というなら朝がっつり食べても影響のない検査でも開発されればと思うのだが、それはゼイタクというものだろう。
せいぜい年に一度のこと、ガマンするよりほかはない。
やたらに朝が早いスケジュールでもあり、何か食べたい誘惑を断つ意味でも、またかんじんの診断当日に変な体調にならないためにも、今日は早々に横になって万全な形で診断に臨みたいと思う。