江戸東京たてもの園は、江戸から昭和時代までの歴史的建造物を失われてゆく
江戸・東京の歴史的な建物を移築保存し展示する目的で設置された野外博物館です。
今回は、銭湯 小宝湯を紹介です。
小宝湯(こだからゆ)は建築は、1929年(昭和4)足立区千住元町の銭湯の建物です。
入口~大型の唐破風や、玄関上の七福神の彫刻
現在の銭湯 現在の想像が出来る銭湯の形は明治10年頃にさかのぼる。東京神田に出来た銭湯では、浴槽を床に沈めて湯をたっぷりと入れ、流し場の天井を高<し、湯気抜き窓を設けた事により、浴室内は非常に明るく開放的になった。改良風呂といわれる形式である。タイル張った銭湯は大正期から、また、唐破風を特徴とする銭湯の玄関は、関東大震災後急速に普及していった。しかし、近年では、新たな変化の時期をむかえている・・・江戸東京たてもの園の張り紙より・・・
入口 男湯・女湯
番台 入浴銭を支払って
着替え室
銭湯の始まり
現在では、「風呂に入る」といえば湯につかることを意味していますが、古くから蒸気浴を意味する[風呂]と沫浴を意味する「湯」に分けられていた。もともと、入浴は、宗教活動や医療活動と結びついて、寺院などで始まった。少量の水を利用して入浴できる蒸気浴が一般であったが、湯も鎌倉時代には始まっていた記録がある。銭湯の始まりも少なくとも鎌倉時代までさかのぼる・・・江戸東京たてもの園の張り紙より・・・
脱衣所の折上格天井など贅をつくした造りとなっています。
お風呂場へ
洗面器
富士山の絵が描かれています。
昔 銭湯に入った事がありますので富士山を題材にした絵でした。
天井も高い・・・
女湯も造りは同じでした。
江戸の銭湯は、徳川家康による町づくりと共に生まれた。たちまち各町に普及したらしい。多くが蒸風呂であったが、「戸棚風呂」といわれる半浴半蒸気浴の銭湯もやがて現れるようになる。湯のさめるのを防ぐため、湯を戸棚の中に置いた形である。さらに、戸棚風呂の引き違いの戸のかわりに、石榴口といわれる様々な装飾のついた鴨居を床から約1メートルほどの所にわたした風呂がつくられた。この形式は1884年(明治17)に禁止されるが、場所によっては明治の末期まで残っていたといわれる。銭湯は落語にも登場するよる様に庶民にとって身近な交流の場であった。江戸の銭湯では2階が設けられ、湯茶や菓子が出され、浄瑠璃語りや生花の会などの場にもなった・・・江戸東京たてもの園の張り紙より・・・
江戸東京たてもの園 東京都小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)
大人一般 400円 65歳以上の方 200円 学生(専修・各種含む) 320円
高校生・中学生(都外) 200円(都内在学または在住・小学生・未就学児童) 無 料
開園時間4月~9月:午前9時30分~午後5時30分10月~3月:午前9時30分~午後4時30分
★江戸東京たてもの園 東ゾーン ➀下町中通りのお店 他
★江戸東京たてもの園 Ⅱ センターゾーン
★江戸東京たてもの園 初めて・・・
有名なゴルフクラブの近く。当時は畑が広がっていました。
いまでは正確な位置は地図上では判別できませんが。
いつか訪れてみたいところです。
コメント有難う御座います。
半世紀前に千住に住んでいらっしゃったのですか。
今では東京の住みたい場所の1,2番の町になっています。素晴らしい所ですね。
小金井のたてもの館と勘違いしておりました。
失礼しました。私の勘違いでした。
たてもの園にある小宝湯です。
小宝湯は千住にあったものを移設したものです。