熊本新老人の会の会報に表記小文を載せて頂いたのでここに転載します。同文はわりと評判がよくて、またお願いしますと編集部から云われています。持ちネタが少ないので連載といわれても困るのですが、3回程度ならなんとかなります。それ以降はこれからネタ探しとなりますが、まあ、なんとかなるでしょう。
棒庵坂
熊本城は茶臼山の頂上に築かれたのでお城に登るには必ず坂道を登らねばなりません。法華坂、薬師坂、御幸坂等々名前の付いている坂が31もあるそうです。名前など付いていない坂を入れたら、それこそ数えきれない数になることでしょう。その中で人の名前のついている坂が3つあります。棒庵坂、慶宅坂、槙島坂です。
今回は棒庵坂についてお話しをいたします。「棒庵坂」の由来はこの坂の下に下津棒庵という2千石取りの侍の屋敷があったことによります。
棒庵は毎日この急な坂道を登って登城していた。ある年の夏のこと、梅雨明け後の強烈な日差しが、鬱蒼と繁茂する樹木をとうして深い木下闇を作り、蝉時雨のかしましい坂道を、いつものように登って行く棒庵の前方を天秤棒を担いだ若い男が走るような脚捌きで登って行くのが見えた。 その衣装(なり)から男は魚屋と分かるが、担いでいる天秤棒に底の浅い桶がぶら下がっていて、桶の中には生きた鯉が跳ねている。
「はて面妖な、ついぞ見かけぬ顔だが坂の上のご家老のお屋敷へ鯉の届け物と見える。」
と訝しんでいるうち、鯉が桶から飛び出して今度は坂の上で跳ねている。魚屋はそれに気づかず、どんどん登っていくので、
「オイ、落とし物だぞ」
と下から大声で声をかけたが、魚屋は振り返りもせず登りきって姿が見えなくなってしまった。
棒庵も今は走り出して、鯉を拾い上げ両腕に抱えて追いかけ、坂を登り詰めて付近を見回したが魚屋の姿はなく、「さてはご家老のお屋敷か」と見当をつけて家老屋敷の門内へ飛び込んだその途端、ずしりと重かった鯉が急に軽くなって、たちまち1枚の朴の葉に変じてしまった。
棒庵坂には狸が棲んでいて通行人をよく化かしたそうです。