べんりや日記

住まいのこと、情報発信!

長岡地域の職人技術について

2010-02-04 23:41:27 | 伝統構法について
1.はじめに

 ここでは、長岡特有の木造技術について述べることとします。

 

2.長岡の特徴
仕口、継ぎ手についての特徴

 長岡の地域特有の仕口、継手は現段階では見受けられません。
 仕口や継ぎ手は大工技術の初歩であり、全国共通です。
 それゆえ、墨付け、仕口の図面さえあれば、どんな加工も再現できます。

雪国独自の建物~山の木を使った建物づくり

 長岡は豪雪地帯であり、その特徴は小屋梁や柱の材が大きいことです。
 特に小屋梁は屋根に積もった雪の荷重を受けるため、他の地域に比べて特別に大きな材料となります。
 また、荷重を分散させるために、梁と梁を組み合わせる方法をとります。片方の柱から伸びる梁の上に、別の方向から伸びる梁が乗り、組み合わさることで、小屋組みの水平力への強度を増すとともに、雪による荷重を分散させます。そのため、梁の組み方は平面的ではなく、立体的となり、木組みの計画の際に頭の中で空間を思い浮かべ、丸太への墨付けで再現します。
 また、上下に重なるためには、すんなり伸びた木よりも、曲がった木のほうが良く、そのため山の沢に生えているような適当な木を選んで切出してきます。近くに山のある越後長岡であるがゆえに出来る方法です。

大工町と長岡の町並み、木材流通経路

 長岡は城下町で、長岡城を中心として、本町、上田町は商人の町並みが並び、それを取り巻く柿川を水路として、他の地域からの物流がさかんでした。特に中島には材木問屋が軒を並べ、信濃川から入ってきた材木を柿川を利用して運搬してきました。
 その隣の日赤町は「大工町」と呼ばれ、職人は柿川から運ばれてきた材木を利用し、長岡の町並みを形成する原動力となっていました。
 日赤町にある「太子堂」には「大工の神様」である聖徳太子が祭られています。
 現在でも、中島町に材木店が点在し、日赤町には建設業が多く、当時の名残があり、国道351号線の上田町に掛かる橋は「匠(たくみ)橋」と命名されています。

 

3.歴史的背景




建物、技術の遷移


古来の大工による建築方法

 伝統技術による建物作りは、戦前、戦後の時期まで行われていました。
 2度の戦災により、中心街で残っている建物は殆ど無く、郊外の里山付近で見受けられる程度です。

戦後、高度経済成長期の簡素、合理化

 戦中、戦後の物資不足を補う為に、長岡周辺の里山の木が大量に伐採されました。そのため、建物の材料となる木材の量、質共に低下し、良い材料を使った建物が少なくなります。戦後復興のため、バラックのような建物が多く建てられました。
 そんな中、失業対策と乱獲された山を整備する目的で里山を中心に杉の植林がさかんに行われました。学校植林運動も展開されたのもこの頃であり、現在50~60年生の木が多いのもこのためです。
 高度経済成長期に入り、住宅の需要がさらに増大すします。この時期から、国内の材木需要を補うために、外国から木材が入るようになってきました。はじめはソ連材であるエゾ松が輸入され、アメリカから米松も輸入されるに至ります。
 この頃の建物は、とりあえず住めれば良い程度の感覚で、構造材も細く、少ない材料で合理的に造る方法が薦められていました。より多くの建物が造れるように、仕口や継ぎ手も複雑なものから、より簡単な方法を選択するようになり、金物で強度を補う工法が採用されました。

工法の合理化、コストダウンの時代

 バブル期の建物は、質の向上を狙い、外観、設備にお金をかけるようになりました。ただし、高度成長期から続く、建物自体の簡素化はあいかわらず引き継がれていて、構造材や木組みにお金をかけようという風潮ではありませんでした。
 消費税の導入に伴い、営業力を強化してきた大手ハウスメーカーがマスコミを利用して主導権を握るようになります。法改正を期に大手の有利な展開となり、さらに低価格化をうたうメーカーの乱立により、コストダウンが激化しています。
 欠陥住宅がマスコミにとりあげられ、瑕疵保証、性能保証を強いられることとなりました。
 このような、競争が激化する中、大工はいかに早く、安く性能の良い「箱」づくりが出来るかの技術を競い合うこととなります。低コストで建物をつくるアメリカに習い、材料を豊富に使い、手間をかけない工法をとるようになります。手加工からプレカットの導入、釘も機械で打つなどの合理化が進みました。材料も国内の高い物から、海外の安い物へとシフトします。結果、シベリアの永久凍土上の森林地帯や東南アジアの熱帯雨林を大量に伐採する事態をまねいてしまい、地球環境上悪影響を及ぼすに至り、その行為は未だに続いています。

伝統技術を生かす

 低価格化の競争が激化する中、里山の自然保護や伝統技術の継承をうたう昔ながらの建物づくりを目指す動きが見受けられます。
 また、シックハウス症候群が社会問題となる中、化学物質を多く使った新建材の利用から、自然素材をふんだんに取り入れた健康住宅が目立ってきています。無垢(ムク)材を使うには大工の技術が必要不可欠です。

 古民家の再生や古材を使った昔ながらの構造材の使い方が話題になることもあします。古材を使って田舎風の内装を再現した都会の居酒屋がにぎわう時代となっています。



カール・ベンクス氏による古民家再生


 ジャニーズの人気グループが昔ながらの大工仕事や農作業、生活を楽しむ番組が高視聴率をとれる世の中です。
 バブル崩壊後、長期に及ぶ不況、デフレに苦しむ中、大量消費に走った過去を反省するとともに、昔ながらの方法、生活、知恵をなつかしむ傾向にあるのではないでしょうか?
 伝統技術をはじめとする古来の継承文化は、現代人の「癒し」となっているようでもあります。






 その時代の建物の需要はその時によって異なるため、大工の年代によって必要とされた技術も違ってきます。
 高度経済成長期より必要とされた、「より早く」作る技術は進歩の一途を遂げたのですが、伝統技術を必要としない合理性を追求する歴史でした。
 現在、「伝統工法」によって作られる建物は皆無に等しく、その技術も高齢者のみが覚えている事態となっていて、若い年代への継承が必要な時期となっています。


目次へ戻る
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

墨付け、加工(仕口、継手)

2010-02-04 23:31:07 | 伝統構法について
木組み

 設計書に従って、材料をどう組み上げるかを模索します。材料の長さや断面を考慮しながら仕口や継手を決めていきます。
 この作業によって、建物の強度や耐久性、組み上がりやすさが左右され、熟練の技術が必要とされます。
 昔は、設計図は無く、「定板(ていいた)」と呼ばれる板と矩計(かなばかり)棒に木組みを表していました。

墨付け

 墨付けは、木組みを実現するために、木材に線を引いて書いていく作業である。角材はもとより、丸太に墨を打つ場合もあります

仕口、継手


 大工の基本となる仕口、継手は様々なものがあり、その部位によって使い分けます。



横架材どうしを継ぎ合わせる「継ぎ手」




柱と横架材を合わせる「仕口」



「しりばさみ継ぎ」の実例


このように加工します


同じ形状の1対の材料同士を合わせます




クサビを打って固定します


1本のようになりました。



目次へ戻る
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雁木

2010-02-04 23:26:24 | 伝統構法について
 雪国ならではのつくりに、雁木(がんぎ)があげられます。
 いわゆるアーケードの雪国版ですが、冬の時期はここが通路代わりになっていました。
 最近の雁木は鉄骨で作られるのが多いようです。鉄骨の場合、塗装等の維持が必要で、根が錆びた場合は溶接、根次ぎ等の修繕がおおがかりになってしまいますが、木製の柱の場合、根が腐っても取り替えが可能な点で優れています。







雁木の生い立ちと現状
 雁木は、雪国に住む住民の知恵として、自然発生的に生まれてきたものと考えられます。
 長岡市における雁木も、戦前は上越市高田・直江津や十日町のように、個人の敷地内(民地)に建築され、 冬の期間における歩行者の交通に重要な役割を果たしてきました。

 その雁木が、現在の様に民地から道路内(歩道部分)に建築されるようになったのは、 戦災で市街地の大部分を消失した後、戦災復興区画整理事業が施行され、 当時としては画期的な歩車道区分のある道路が整備されたことによります
 これは、もとは個人所有だった土地が拡幅されてできた道路であるため、 歩道に雁木を建築することについて、住民に公道内に建築するという認識が薄く、 民地内の雁木の様に安易に考えられていたものと思われます。

 現在、長岡市内に設置されている道路内雁木の総延長は、約19.5kmで、 戦後まもなく設置されたものが殆どです。
 尚、現在でも一部に民地内雁木が袋町等で見受けられます。

長岡市都市整備部建築住宅課 発行 
「長岡市道路内がんぎの手引き」 より









伝統構法の特徴へ・・





べんりや日記 もくじ - べんりや日記

べんりや日記 もくじ - べんりや日記

このブログを開いてから、家づくりや環境、食について様々な想いを書き綴ってまいりましたが、その情報量の膨大さに書いている本人も何処に何を話題にしていたか整理がつか...

goo blog

 


もくじへ・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

せいがいづくり

2010-02-04 23:24:33 | 伝統構法について
 梁を軒桁から大きく伸ばし、軒先の出を大きく取るつくり。
市街地よりも郊外に多く見受けられます。



伝統構法の特徴へ・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

又首(さす)構造・合掌づくり

2010-02-04 23:10:09 | 伝統構法について
サス構造の代表格の「合掌造り」


又首(さす)とは、2本の丸太を棟で交差させ、梁の両端に「差し込んだ」構造で、「和風トラス構造」でもあります。



又首(さす)構造の断面
2本の長い丸太が屋根の棟部分で交差しています。




サスの梁に差し込んでいる部分
栓で止めているだけです・・・


「合掌造り」
多積雪地域で、サス屋根の勾配が強くなり、3階建てに近い高さまで伸びたもの。富山や飛騨高山地方で有名な工法です。
長岡を中心とする新潟県域ではあまり見受けられません。



サスの交差する棟部分















伝統構法の特徴へ・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かやぶき屋根

2010-02-04 22:55:45 | 伝統構法について
 縄文時代から受け継がれてきた屋根葺の方法は、米作り中心の農村での共同作業によって培われてきました。
 「カヤ」とはススキなどの穂の長い雑草であり、まとめて育てる「カヤ畑」があり、その年その年で葺き替える家を決め、農閑期に村人総出で吹き替え作業が行われました。
 これを繰り返すことで、屋根が定期的にリフレッシュされ、屋根の耐久性を高めていました。
 現在では「高柳町」で「カヤ葺き屋根」を残そうという運動がありますが、その他の地域の殆どは鉄板で覆われるようになりました。



鉄板で覆われた茅葺き屋根


 農村の文化や米作りの文化の喪失により、消えつつある文化である。それを再現するのには多大な費用と労力を要する時代となりました。

 また、米作り後の稲ワラは、作業具や縄などの道具、タタミ等に使われ、農家の副収入源となっていましたが、機械化に伴い細切れになるために利用できなくなっています。最近では、稲ワラの野焼きが禁止されているため、ますますその処理に困っている現状があります。



茅の葺き替えの様子



伝統構法の特徴へ・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然のサイクルに沿った建物造り

2010-02-04 22:52:17 | 伝統構法について
 山の木は農産物と同じで収穫する時期があります。
 気温が低くなり水を吸い上げなくなる冬の時期に伐採し、雪解けとともに山から木を出してきます。木を山から切出して乾燥に3年、材木に挽いてから加工まで1年、建て方が終わってから十分に乾燥させ、狂わせてから、内装工事に入り、完成まで1年から3年という、自然のサイクルに沿った建物の造り方により、300年、400年という耐久年数の古民家が現在も点在しています。


山の木のサイクルへ・・



伝統構法の特徴へ・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小屋組で地震に耐える

2010-02-04 22:49:27 | 伝統構法について
 土塗り壁は、壁材としては有効ですが、地震時の耐力壁としては力不足な壁です。その強度を補うために、建物の小屋組み全体で地震に対応していました。すなわち、小屋組みを強固なものとし、そこから下に伸びる柱を「込み栓」等により固定することで、「壁で水平力に対応」するのではなく、「建物全体で水平力」に対応していたのです。
 それゆえ、高度な小屋組みの技術が要求されていました。


伝統構法の特徴へ・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

通し貫と土塗り壁

2010-02-04 22:46:31 | 伝統構法について
 関東大震災以前は、スジカイの概念が無く、ほとんどが「通し貫」といわれる板を柱と柱の間に通して固定され、竹をワラ縄で編んだ格子状の「コマイ」を打ち付け、それに土を塗って壁にしていました。
 この土塗り壁は、室内を適度な湿度に保ち、土中の気泡は断熱材の替わりとなり、さらに微生物が適度に発酵させていたため腐りづらい特徴があり、この土は改築の際に何度も繰り返し利用されていました。



通し貫はクサビを打って止めます









土塗り壁についてはこちらへ・・



伝統構法の特徴へ・・
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

束石と込み栓

2010-02-04 22:18:30 | 伝統構法について
 コンクリートも鉄筋も無い時代の基礎は、地面を大きく掘った所に石を置き、その上に柱を立てました。すなわち、現在の様に「土台」に柱が刺さっているのではなく、柱に土台を差すのが基本でした。
 そのため、床下の風通しが良く、木が腐りにくい環境下にありました。
 また、木と木の接合には「込み栓」が使われ、現在の木材の仕口がピン構造とされるのに対し、ラーメン構造に近い強度が出ます。実際、現在の建物の土台と柱の部分に「込み栓」を用いると、柱が自立してしまうだけの強さがあります。アンカーボルトと組み合わせて引き抜きの実験をしたところ、7トンを記録したそうです。安全率を考慮すれば、2トン以上の強度があり、現在指導されているホールダウン金物と同等以上の力があります。この「込み栓」はほとんどの柱と横架材との接合に使われます。


富山県の島崎工務店の建築物







 通し柱に土台を差込み、「込み栓」を打ち込んで、土台をアンカーで固定し、引っ張りの実験をした結果、7トンもの強度を記録した。
伝統工法の優れた点を、再確認する必要がある。


伝統構法の特徴へ・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

適材適所

2010-02-04 22:14:48 | 伝統構法について
木の狂い方


 木には色々な種類があります


 木材といっても、スギ、マツ、ケヤキ、ヒノキ、ヒバ、クリ、キリ等、様々な樹種があり、その木によって色々な性質があります。
 マツやケヤキは強度があるので、小屋梁などの横架材として使われ、特に硬いケヤキは細く割って「栓」として使います。
 腐食に強いヒノキ、ヒバ、クリは土台や水廻り、防虫性のあるキリはタンスや家具といった具合です。
 スギは芯の部分の「赤身」の部分は腐りづらく、雨板などの外装材としても使われ、「カキシブ」を定期的に塗布することで、耐久性も増すことが出来ます。
 杉はマツ等に比べて、狂いにくく、おとなしい材料で、加工をするにも楽であり、日本の建物に適した材料であり、戦後積極的に植林されました。

 「アテ」や根曲がりを使う


 同じ種類の木でも、山で育った木は一本一本個性があり、すんなりと伸びて直線的な木もあれば、雪に耐えながら曲がって生えてきた木もあります。



雪に耐えながら育った杉の根元は曲がってしまいます。
この「根曲がり部分」は、製品ラインに乗らず、伐採時に捨てられます。
梁として使えば、一番強い部分なのですが・・・


 同じ木から切出した材料でも、木の芯の部分と外の部分では性質が異なり、乾燥に伴い「狂う」方向も異なります。
「アテ」と呼ばれている部分は、乾燥と共に変形していきますが、十分乾燥しても、さらに曲がってしまう程、狂う要素が強い部分で、下手に構造や下地に使うと局所的に歪んだ建物になってしまいます。



アテの強い野地板が反った場合、屋根の瓦を持ち上げるほどの力があります。


 このような木をどう組み合わせて、耐久性のある強い建物がつくれるか、長年の経験と実績により養われてきました。
 「アテ」の多い根曲がり部分を、反る方向を考慮して上向きに力が掛かる部材に使用すれば強い構造になります。
 小屋組みに積極的に根曲がり材を組み合わせてきたのは、屋根に積もった雪を支えるための雪国ならではの大工の知恵です。


伝統構法の特徴へ・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木構造の種類

2010-02-04 21:56:58 | 伝統構法について
 現在、様々な木造の建物が作られている。「軸組み工法」を一つ取って見ても水平力を負担する材料が「筋違(スジカイ)」であったり、合板や建材などの面材を打ちつけたりしたものがあり、それぞれの工務店によって異なる方法を採用しています。
 古来からある伝統的な工法も、木造の一つとして位置づけされています。
 ここでは、各工法を紹介しながら伝統工法も織りまぜて紹介します。


木構造の分類



在来軸組工法


 上からの荷重を支える水平材と、その力を地面に伝える柱からなる構造です。
 伝統的な工法は、もこの中に分類されます。 風や地震などの横からの力を受ける材料によって様々なバリエーションがあります。
 

筋違い

 横の力を受け持つ材に、斜材であるスジカイを使った工法です。
 大被害を生じた関東大震災以来、用いられるようになりました。
 昭和39年の長岡地震の被害状況から、金物の仕様が検討され、スジカイと横架材、柱の接合部分に金物を設置するようになり、関西淡路大震災の際に的確に金物を用いた建物は倒壊しなかった実績があります。
 現在では、更に金物の強化がされていて、金物だらけの家になっています。
 

面材の利用

 スジカイの替わりに面材である合板などの建材を打ち付けた工法です。 関西淡路大震災以来、積極的に取り入れられています。
 

木組みのプレカットによる工期短縮

 工期を短縮し建築コストを下げるために、木材の加工の工程を従来の手加工から機械加工に切り替える工務店が増えています。
 墨付け、加工をオートメーション化し、設計図に沿った打ち合わせさえすれば、簡単に家が建つようになっています。
 ただし、機械に入るのは決まった寸法の角材のみであり、定形外の寸法材や丸太を用いた場合、斜めに上る材などがある場合は、やはり手加工になり、外注の大工技術に頼ることになります。
 

 

2×4工法


 欧米で開発された工法で、柱が無く、2インチ×4インチの木材に合板を打ち付けた壁で構成されます。(最近では2×6、2×8といった厚壁仕様の建物もあり、断熱性能をより高める工夫がされています)
 関西淡路大震災で倒壊しなかったという実績により、注目をあび、「在来軸組工法」に面材を使う方法が拡がったきっかけとなりました。
 

 

和小屋と洋小屋


 小屋組による分類であるが、桁と桁の間に梁を渡し、その上に束を立てる「和小屋」と、小屋をトラスに組んでいく「洋小屋」に分けられます。
 和小屋は古来から多く使われてきた方法で、加工が少なくて済み、梁に丸太をそのまま使えます。
 洋小屋は、仕口加工が複雑だが材料の大きさが小さくて済みます。



和小屋と洋小屋


トラス構造


 大スパンの空間を作る場合、和小屋よりも洋小屋のようなトラス構造を採用すれば、断面積の小さな材料で済みます。
 昔の木造校舎や体育館などはこのような方法で作られていました。
 また、最近では立体トラスを採用して大空間を作り出す建築物も多数できています。
 このようなトラスを採用すれば間伐材のような小径木も利用可能です。


小学校の体育館




大型ドーム



   接合金物の拡大


大断面集成材


 木材の集成技術が進歩するに伴い、断面の大きな集成材をつくることができ、これを利用して大スパンの空間をつくることが可能となりました。


目次へ戻る
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大工技術と道具

2010-02-04 21:42:10 | 伝統構法について
 「伝統技術」と言っても、特定の工法、技術を指すものではなく、個々の大工(工務店)が親方から代々引き継いだ技術であり、家のつくり方や墨付け、仕口に至るまで様々な方法があります。
 大工の弟子になると、兄弟子の世話や仕事の手伝いをし、ノミを研いだりしながら、先輩の仕事を観察し、「技を盗む」やり方をしてきました。
 親方から弟子へ口伝い、あるいは「盗む」といった方法で、古来から伝わってきた技術を総称して「伝統技術」といいます。
 また、新しい工法も積極的に取り入れながら、工夫を加えてきました。
 現在あるノコギリやノミ、カンナといったいわゆる大工道具も、今日の形になるまでには、何百年も試行錯誤を繰り返してきた結果の代物であり、現在では使われることの少なくなった、マサカリ、チョウナ、ヤリガンナがその原形にあたります。そして、その時代時代で、その道具を如何に使い、建物を造るかを競い合ってきたものです。


昔の大工道具

上からマサカリ、チョウナ、槍ガンナ



現在の大工道具

上からマサカリ、チョウナ、槍ガンナ
墨壷、差金、カンナ、ノミ、ゲンノウ、ツキノミ、のこぎり



マサカリの実演




槍ガンナの実演




チョウナの実演




目次へ戻る
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする