雲蝶の仁王像を前に、思ったのは、
「ユニーク」
というところです。
通常、金剛力士像は「力強さ」や魔除の「恐ろしさ」を表現するのでしょうが、どちらかというと「楽しさ」みたいなところがあります。
江戸時代末期ともなると、庶民に余裕が出てきたのかどうかはわかりません。逆に貧しさや幕府の重圧を紛らわせるために、あえて「面白さ」みたいな要素を入れているのかも知れません。
確かに、仁王像の全体には、肉体の力強さがみたいなものがあります。
でも、メタボな腹、にょきっと出た足はむしろ人間っぽい。
目を見ると、「迫力」というよりも、むしろ「穏やかさ」や「ユニークさ」がにじみ出ています。足にしかれている「鬼」もなんだかユニークな表情をしています。
この世の憂いや悲しみを表現するよりも、生きている楽しみ・華やかさ・面白さを表現したいのが雲蝶の性格なのかも知れません。
雲蝶の金剛力士像よりも、その像が入っている山門のほうが私としては気になるところでもあります。上棟から100年も経っていても「美しい」プロポーションをしている。
仁王像がこの建物を守る魔除けとして「従たる」ものならば、「主たる」この建物がメインではないでしょうか?
(3)へ続く・・
「ユニーク」
というところです。
通常、金剛力士像は「力強さ」や魔除の「恐ろしさ」を表現するのでしょうが、どちらかというと「楽しさ」みたいなところがあります。
江戸時代末期ともなると、庶民に余裕が出てきたのかどうかはわかりません。逆に貧しさや幕府の重圧を紛らわせるために、あえて「面白さ」みたいな要素を入れているのかも知れません。
確かに、仁王像の全体には、肉体の力強さがみたいなものがあります。
でも、メタボな腹、にょきっと出た足はむしろ人間っぽい。
目を見ると、「迫力」というよりも、むしろ「穏やかさ」や「ユニークさ」がにじみ出ています。足にしかれている「鬼」もなんだかユニークな表情をしています。
この世の憂いや悲しみを表現するよりも、生きている楽しみ・華やかさ・面白さを表現したいのが雲蝶の性格なのかも知れません。
雲蝶の金剛力士像よりも、その像が入っている山門のほうが私としては気になるところでもあります。上棟から100年も経っていても「美しい」プロポーションをしている。
仁王像がこの建物を守る魔除けとして「従たる」ものならば、「主たる」この建物がメインではないでしょうか?
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