べんりや日記

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森林の復興 ~学校林の歴史

2009-12-30 00:16:51 | 山の木の話(越後杉)
 戦時中、森林生産力を無視した空前の伐採が行われたために、国土は荒廃しハゲ山が続出した。荒れた国土を再建するためには、森林復興が急務であった。森林資源造成方がこれに応じて制定され、以後、国庫補助による造林をすすめることになった。また民有林の施業案の編成および検討が昭和22年からはじめられた。しかし、戦後も木材に対する需要が戦時中に劣らず膨大であったので、過伐、早伐が盛んに行われ、国土はますます荒廃した。23年に相次いで来襲した台風は県下各地に大きな被害をもたらしたので、県民はあらためて国土の荒廃の実態と森林復興の急務を痛感させられた。
 24年から、学校教育の面から造林意識、愛林思想の養成普及をめざして学校植林運動が強力に展開された。県では25年春、学校植林推進連合協議会が設置され、それが中心となって学校植林コンクールを毎年実施し、「学校植林のしおり」を発行し、愛林思想の普及に努力した。33年までに1102ヶ所(小学校81、中学校699、高等学校322)がこの運動に積極的に参加し、約1300haの森林に植林した。 その間、25年1月に衆参両院で国土保全と挙国造林に関する決議がなされ、衆議院議長を委員長とする国土緑化推進委員会が設立された。県でも、これに呼応して25年4月新潟県国土緑化推進委員会が結成され、これが中心となって国土緑化の一大県民運動を展開した。緑の羽根募金運動や講和条約締結記念植林や新市町村建設造林、さらには青少年に森林観察の機会を与えるためグリーン・バスを運行したりして緑化思想の普及に努めた。またクリスマスツリーや門松使用自粛運動も行われた。 昭和26年6月に森林法が全面的に改正されたが、それは森林資源の維持培養と森林生産力の増進をはかるとともに、森林の防災機能を強化することを目的としたものであった。新潟県では、県全域を11の基本計画区に分け、さらにこれを56森林区に分けて、それぞれ基本計画、森林区施業計画、森林区実施計画を作成した。

新潟県百年のあゆみ  発行 新潟県より







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