気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

伊達直人

2011-01-10 19:13:23 | 日記
全国の児童施設に伊達直人の善意のランドセルが続々届いております。
昨年末、最初に群馬県でこの行為を行った伊達直人さん、あなたは凄い人です。
忘れかけていた40年前のタイガーマスクを私たちに思い出させてくれました。

タイガーマスクと言ったら、今では本物のプロレスラーがテレビで活躍していますが、元々は梶原一騎原作・辻なおき作画の漫画(劇画)だったのであります。
後にアニメ化され、人気に拍車がかかりました。
私も当時、主題歌のレコードを買ったり、ニシザワデパートにやって来たタイガーマスク(着ぐるみ)のサイン会に行ったりしていました。

漫画の最終回、伊達直人はクルマにひかれそうになった子供を助けて、自らはひかれて死んでしまいます…。
死に際にタイガーのマスクを川に捨てて、タイガーマスク=伊達直人は、分からず終いで終わってしまうというストーリーだったのですが、アニメは、タイガー・ザ・グレートとの試合で反則の限りを尽くしたタイガーマスク=伊達直人が自分を恥じて海外へ旅立って終わり。
原作とのギャップが相当ありました。

孤児院ちびっ子ハウス出身の伊達直人が、ちびっ子ハウスの窮状を知って、ファイトマネーの大半を寄贈していた行為…これが今回の善意のランドセルに繋がって行きます。
ただ、漫画では本来虎の穴に支払うべきファイトマネーまでちびっ子ハウスに寄贈していたため、怒った虎の穴から刺客を大勢送られ苦しむハメになります。

アニメ・エンディングの「みなし児のバラード」をさっき、ユーチューブで聞きましたが、涙が溢れて来ました。
凄く良い歌詞です。
今回の件は、伊達直人の事を改めて考えさせてくれた良い機会となりました。
ちなみに、OP「行け!タイガーマスク」とED「みなし児のバラード」を歌っていた新田洋ですが、後に森本英世という名前になり、敏いとうとハッピー&ブルーのボーカルを担当していました。




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出初式

2011-01-09 23:15:17 | 消防団
1月9日、伊那市消防団の出初式でした。
準備団は伊那分団。
と言うことは、伊那分団の分団長が総指揮者で、諸々の大きな役割も全部伊那分団で手分けしてこなします。
私、第1部長が団旗の旗手。
第2部長が分列行進の観閲席付近の設営責任者。
第3部長が国旗の旗手といった感じで、準備団になると大変です。

「団旗に注目」という項目が式典の初めと終わりにあります。
実は、出初式というのは、消防団だけの行事ではありません。
消防署や赤十字奉仕団・少年消防クラブ等の旗も一緒に掲げます。
このリーダー的役割が私なのです。
「駆け足進め・駆け足止まれ・左向け左・敬礼・団旗保持・左向け左・駆け足進め…」
と言ったかけ声を私が発しながら、他の団体の旗手を雛壇中央へ誘導します。
これを式典中2回ですよ。
その前に5~6回リハーサルをやっていますので、式典終了時はクタクタでした。

しかし、まだまだ終わりではありません。
分列行進があります。
ここでも団旗の旗手は私なので、総指揮者の後2番手で行進を行いました。
後から聞いた話ですが、母親も観閲席付近で見てくれていたとか…。
まあ、後にも先にもこんな晴れ姿?は二度とないでしょうからね。

慰労会・二次会・締めのラーメンを経て今、ご帰還です。
本日中にご報告出来て良かったです。

上画像、真ん中の一番高く掲げている旗の旗手が私です。
ほとんど容姿が写っておりません。

下画像、手前が総指揮者、その後ろの団旗保持者が私ですが、待機中で後ろを向いてますね。




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旗手

2011-01-08 17:31:31 | 消防団
エライことになりました。
明日の出初式で、私が団旗の旗手になってしまったのです。
分団旗ではありません。
伊那市消防団の団旗です。
準備団が伊那分団とは聞いていたので、国旗か団旗の旗手は覚悟していましたが、いざ決まると相当なプレッシャーです。
まずは式典で、「団旗に注目」を式の初めと終わりに1回ずつ行います。
会場内の視線が私に集まります。
続いて、市中パレードと分列行進。
先頭の指揮者のすぐ後を団旗を持って私が行進します。
ある意味、光栄ではありますが、参りました。
明日、10時からリハーサルです。
その前に、テキストで自習してます。

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献血

2011-01-07 15:05:27 | 日記
まったく今日、献血をするなんて考えてもいませんでした。
職場の今朝の朝礼で、クラーク(事務社員)が「今日、市役所で献血がありますので、行ける方は行ってください!」
と連絡事項の1つとして、周知したのです。
ふーん、と聞き流したつもりでしたが、営業所長が間髪入れず「鈴木さん行きますよね!」
と私に振ってきました。
「行くのは構いませんが、私の血ドロドロだから却下ですよ!」
などとみんなの前で軽口を叩いてしまいました。
…という訳で献血に行かざるを得なくなってしまった次第です。
なんでも、生命保険会社同士で社員の献血数を競争しているみたいなのです。
アクサの松本支社はみんな行かないようで、「積極的に社会貢献をしろ!」となったようです。

私は、献血、東京時代に5~6回やっているのです。
一度家に帰って、献血手帳を持って市役所の献血会場に向かいました。
献血手帳を見たら、前回が平成14年11月3日となっていました。
うぁー、8年振りの献血です。
しかも、今、献血手帳ではなく、献血カードなんですってね。
すぐに、アナログの手帳をカード化してくれました。
このカードに過去の記録が全部入っているそうです。
400CC献血やりましたよ。
お土産もどっさり貰いました。
ジュースに歯磨き粉・クリアファイル・2色ボールペン・絆創膏・マスク。
なんか恐縮です。




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聖子ちゃん

2011-01-06 19:39:31 | 日記
聖子は聖子でも松田聖子ではありません。
野田聖子代議士のことです。
帝王切開で男児を出産しましたねー。
50歳だそうです。
どうしても自分の子供が欲しかったんですね。
子供が出来にくい体なので、パートナーの精子と体外授精して…。
しかも、卵子は自分のものではなくアメリカ人女性のものだとか…。
日本では、自分が産んだ赤ちゃんは自分のDNAがなくても戸籍上自分の子供になるとか。
凄いパワーですよね。
決して出産をあきらめないところは、かつての郵政民営化反対を思い出します。

まだ、30代の頃、聖子代議士は郵政大臣でした。
初々しくてね。
ホント可愛らしい大臣でしたよ。
ピンクやオレンジ色のスーツが似合っていました。
私、その頃、全国特定郵便局長会会長の郵便局で局長代理をやっていました。
聖子大臣や自見郵政大臣(現金融担当大臣)は、凄く身近な存在でした。

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