方広寺 2009-04-17 06:50:39 | 歴史関連情報 「興福寺」「三十三間堂」は、すぐに変換されるのに、「方広寺」は「ほうこうじ」では出てきません。 それほど成り下がってしまいましたが、秀吉の創建当時は、三十三間堂をも含む広大な敷地を持ち、日本最大の大仏を有する大寺院でした。 有名なのが、現在にも残る鐘楼で、その銘に「国家安康」「君臣豊楽」の部分があり、「家康の名を二分して国安らかにさせ、豊臣を君主とする」というまさに言いがかりで、豊臣氏を . . . 本文を読む