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方広寺

2009-04-17 06:50:39 | 歴史関連情報
 「興福寺」「三十三間堂」は、すぐに変換されるのに、「方広寺」は「ほうこうじ」では出てきません。
 それほど成り下がってしまいましたが、秀吉の創建当時は、三十三間堂をも含む広大な敷地を持ち、日本最大の大仏を有する大寺院でした。 

 有名なのが、現在にも残る鐘楼で、その銘に「国家安康」「君臣豊楽」の部分があり、「家康の名を二分して国安らかにさせ、豊臣を君主とする」というまさに言いがかりで、豊臣氏を滅ぼしてしまいました。

 昨年から、その方広寺の発掘調査が行われています。

 京都新聞によれば、京都市東山区の京都国立博物館の発掘調査で、豊臣秀吉の方広寺造営に伴って谷を埋め立てた大規模な造成工事の跡が見つかり、土量は概算で約5万5千立方メートルで、「10トンダンプ1万台に相当し、秀吉の権力の大きさを物語る」としています。

 権力の大きさを想像してみましょう。

 天下統一前の1586年から京都の聚楽第とともに、方広寺大仏殿の建設を初めています。
 その4年前には伏見城、翌年には大坂城の造営を始めています。

 大プロジェクトが同時並行で行われているのです。
 もちろん、重機はない時代。どれだけの人とお金を使ったのでしょうか。

 方広寺の土盛りだけで、ダンプ1万台。

 想像を絶します…

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