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江戸時代の「石(こく)」の意味は?-6-

2013-09-30 05:54:08 | 社会科こぼれ話
 ここまで、江戸時代の「石」について考えてきました。

 「石」とは、米の容積であり、領地の広さでしたね。

 まだまだあります。

 その他の視点を考えてみましょう。

【 兵 力 】
 司馬遼太郎の『関ヶ原』だったかと思いますが、戦国時代の戦闘員の動員能力は、およそ「1万石につき250人」だったと書いてありました。



 19万石の石田三成は、250×19=4750。

 関ヶ原の戦いでの石田軍は約5000人と言われているので、なるほどという数式です。
(関ヶ原の戦いでの兵力は、実際にはもっと少なかったのではないかという説もあります。)

 しかし、平和な江戸時代になると減ります。

 加賀100万石の前田家で1万人といわれているので、せいぜい1%です。

 長州藩36万9000石が禁門の変で動員した3000人という数もわかります。 


 いずれにしろ、「石」高から、およその兵力が類推できるのです。


【 財 力 】

 「石」は米の量なので、石高は財力でもあります。


 江戸中期には、米の仲介業者である札差が武士から買う米の値段は、1石1斗=1両でした。
 前に1石=1両と書きましたが、この1斗分が手数料なのでしょうか。

 たとえば1万石の領地から得られる年貢米を5000石とすると4500両。
 今のお金に換算すると、1両=10万円として、4億5千万円です。

 ここから諸経費を引いて、1%の動員兵力100人で割ると…。

 苦しい生活であったことが予想されます。

 ところで、紀伊国屋文左衛門が江戸城をも焼いた明暦の大火の時に、木曽の材木を買占めて一気におよそ百万両を手にしました。なんと1千億円です。

 先ほどの計算式に当てはめると、222万石の大名に匹敵します。

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