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太平洋戦争の記憶 23号/アシェット・コレクションズ・ジャパン

2015-02-24 05:40:43 | 歴史関連情報
太平洋戦争の記憶 23号を紹介します。

★今号の復刻新聞
 スラバヤ沖海戦
 ・朝日新聞 昭和17年3月2日
 ・國民新聞 昭和12年7月14日
 ・毎日新聞 昭和12年7月28日

◆開戦前史
 北支事変

◆オペレーション&ファクトファイル
 スラバヤ沖海戦

◆歴史のキーマン
 高木武雄 

◆作戦の裏側
 日本の巡洋艦


今号の復刻新聞は、スラバヤ沖海戦と 北支事変です。

スラバヤ沖海戦
昭和17年2月27日から3月1日にかけて、インドネシア・スラバヤ沖で、日本軍のジャワ島攻略部隊を連合国軍が迎撃した海戦です。
日本海軍が連合軍の艦隊を撃破し、日本軍のジャワ島上陸・占領が進みました。

スラバヤ沖海戦では、イギリスの巡洋艦「エクゼター」が戦闘不能となりました。
「エクゼター」の乗組員は次々と海中に飛び込み、何と日本艦隊に向かって泳ぎ始めたのです。
「エクゼター」では士官が兵に対し、「万一の時は、日本艦の近くに泳いでいけ、必ず救助してくれる」といつも話していたそうです。

実際に、日本の駆逐艦「電(いなづま)」では「沈み行く敵艦に対し敬礼」の号令が下されました。
その後、残りの敵艦の攻撃に向かわないで、「海上に浮遊する敵兵を救助すべし」との命令が下り、エクゼターの乗組員376名が救助されました。
 出典 「かつて日本は美しかった」http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2011/03/post-51b2.html

北支事変
 すなわち、廬溝橋事件から始まる一連の戦争を、当初は局地的であったために、「北支事変」とよんでいました。
 後に「支那事変」に変わります。
 




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