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義人清介物語

2009-03-28 10:09:08 | 取材・旅行
 虎姫町で、学芸員の福田さんからおもしろい話を聞きました。

 水利権を巡る争いから、自ら犠牲になった清水清介の子孫は、今でも草刈り等が免除されているというものです。
 次の話です。

 天正17年(1589)、「才勝井」に近接する青名村・八日市村(現湖北町青名・八日市)と中野村が相論となり、ついに死傷者が出てしまいました。
 そこで、このあたりを治めていた豊臣秀次は、けんか両成敗として、各村からの代表1人ずつを処刑することとしたのです。

 そこで、中野村からは、百姓の清水清介が自ら進んで犠牲となったのです。
 時の奉行が大口出身の堀尾吉晴。
 彼は、清介の望みのまま、屋敷を娘に永代与えるように認めました。
 これが清水文書で、近々大口町歴史民俗資料館に複製が展示されると思います。

 中野村では、清介の恩に報いるため、彼の田畑にかかる不役を免除して、娘に相続させています。
 この取り決めが現在も効力を持っているのが興味深いところです。

 その才勝井は現在でも豊な水を湛えているそうです。
 中野では、後に「義人清介氏之碑」を建立し、毎年8月19日には「清介感謝祭」を執り行い、その恩恵を今に伝えています。