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美濃路・清州宿-6-

2025-01-18 07:25:05 | 取材・旅行

美濃路・清州宿-6-

2025年1月12日(土)、愛知ウォーキング城巡りクラブ(AWC) 「美濃路・清州宿」へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、9回にわたって紹介しています。今日はその6回目。

今回訪問したところです。

第6回は、正覚寺までです。

須佐之男神社

ご祭神は「須佐之男命(スサノオノミコト)」。

須佐之男神社は全国に30社ありますが、https://www.saikouji.com/BukySaikou/Shrine/SameShr/Shrine0898504F4B4E37755E793E79.html

須佐之男命が出雲で八岐の大蛇(ヤマタノオロチ)を退治したときにその尾から出てきた剣(草薙神剣)を熱田神宮に祀っている関係でしょうか、9社が愛知県にかたまっています。

ここには石のさい銭箱があるそうです。

https://ameblo.jp/pukapiko/entry-12791711918.html


名古屋鉄道新川検車支区

動画で紹介します。

【名鉄】須ヶ口にある新川検車支区

早朝の名鉄新川検車支区で2231Fを2回見送るまで帰れません!をやってみた!検車区内の様子も収録!


豊和工業本社工場

ライフル銃や小銃もつくっています。

HP https://www.howa.co.jp/products/firer/


山内邸

かつて、ここに今川氏の首がさらされていました。


名鉄須ヶ口駅

『清須の入口』を意味しています。

清須には、清須御厨(きよすのみくりや)がありました。これは、伊勢神宮内宮領の地で、14世紀中頃に成立した「神鳳鈔」に「内清須御厨」と記されています。歴史のある土地なのです。


 ここにも屋根神様がありました。

これもそう


名鉄津島線です。

この先、五条川を渡ると、信長好きならおなじみの萱津です。動画で紹介します。


 萱津合戦

【図解】真相解明ここまで分かった織田信長の戦い「萱津の戦いの実態」【尾張統一戦記②】

このあたりの地名が続々と登場します。

149 尾張のうつけ【織田信長】尾張編-3 萱津の戦い ~自作アニメと城跡巡り

【ゆっくり解説】絶対に戦うべきじゃなかった!信長への反乱を起こした武将の悲惨な末路|萱津の戦い


古い家並みが残っています。


須ヶ口一里塚跡道標

かつて、この一里塚の両側に一里塚がありました。

説明です。

文字おこししてみましょう。


 須ヶ口一里塚跡

 熱田宿から古渡、江川を経て、三つ目の一里塚。かつてはこの一里塚橋にまたがり、橋の両側に小塚があって、榎の老樹が茂っていた。その後、用水の改修であとかたもなくなってしまったが、美濃路を偲ばせる史跡のひとつである。

 一九五五年に新川町制五〇周年記念としてこの石碑が建てられた。

     美濃路まちづくり推進協議会


橋には入り口と出口があります。

漢字表記側が入り口、ひらがな表記側が出口です。橋の入り口と出口は、道路の起点(入り口)と終点(出口)で決まります。


うだつが見られました。

 


大雄山正覚寺 です。

寺号標から参道を進むと正覚寺の山門です。

説明です。

文字起こししてみましょう。


大雄山正覚寺(浄土宗)

 関ヶ原の戦いの功で清須城主となった松平忠吉(徳川家康四男)が,亡母西郷局(後に宝台院という)の菩提寺として、前任地の忍(埼玉県行田市)にあった大雄山正覚寺を一六〇三年(慶長八)に、ここ清須外町に移したのが当寺の始まり。満誉上人を開山とした。

 忠吉は寺野村で百石の寺領を寄進するなど、保護に努めたが、一六〇七年(慶長一ニ)、二八才の若さで跡継ぎもなく江戸にて逝去した。家康の命により葬儀は増上寺で営まれ、位牌は当寺に安置された。翌年の一周忌法要は、家康制札のもと、二一日間という長行が当寺で行われた。

 一六一〇年(慶長一五)に始まる清須越で、当寺は忠吉の法名から大雄山性高院と改名して名古屋に移され、忠吉の菩提寺となった。一方、その後すぐ清須の旧地にも、旧名のままで再建されたのが当寺で、宝台院の菩提、性高院の霊牌、忠吉に殉じた四名の家臣の位牌を護る由緒ある寺院としてこの地に続いてきた。

 美濃路に面したこの寺では、忠吉ゆかりの宝物のほか、忠吉母子の供養塔である宝篋印塔、仏足石、桶狭間の戦いで倒れた今川義元に関わる今川塚供養碑(二〇〇七年移設)、須ヶ口一里塚にあった道標など、多くの歴史に出会うことができる。

                       美濃路まちづくり推進協議会


外町の一里塚の道標

「北みのかいとう 南無阿弥陀仏 是より 西つしまかい道」とある。


今川塚供養碑

解説です。


今川塚供養碑

 永禄三年(一五六〇)の桶狭間の戦いで織田信長は、今川義元を討ち取りました。「信長公記」によると、清須城外の須ケ口に義元塚(今川塚)を築いて丁寧に弔ったとされています。

 その後、寛文元年(一六六一)に正覚寺六代三誉上人と念仏講同行十四名の名前が刻まれた生前供養のための石碑を建立しました。これが、今川塚供養碑といいつたえられています。

 美濃路沿いの須ケ口二三三四番三の山内伊之彦氏所有地に建てられていたものを平成十九年(二〇〇七)現在地に移設しました。

銘文

 「南無阿弥陀仏為 念仏講同行十四人 正覚寺六代

   三誉上人 逆修<十四名記名>施敬」

 「当寛文元暦 辛丑八月十五日 春日井郡 清須外町」

                     清須市教育委員会


動画です。

戦国今川氏紀行 今川義元公[今川塚](義元塚)〔尾張・正覚寺〕

改めて観光案内MAPです。


明日、第7回は、清州宿本陣までです。

美濃路・清州宿-1- -2- -3- -4-  -5- -6- -7- -8- -9-


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