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邪馬台国発見か!? 

2009-03-28 22:29:52 | 歴史関連情報
 世紀の大発見となるかもしれません!

 邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、卑弥呼の頃、3世紀前半の建物跡や凸字形の柵が見つかりました。

 これまでに見つかった建物跡とあわせ、3棟が東西に整然と並ぶことも確認されました。
 まさに卑弥呼がまつりごとを行った宮殿の一角との見方ができ、邪馬台国畿内説が力を増しました。

 邪馬台国の場所は、考古学の学者と、古文書学の学者では見解が分かれていましたが、考古学系では畿内説が一般的でした。
 今回は、考古学調査で、さらに強力な物件となりそうです。

 私が好きな井沢元彦氏は『逆説の日本史』古代黎明編で次のように言っています。

 卑弥呼というのは、古代日本の国のひとつである邪馬台国の女王として君臨した巫女であり、神の言葉の代弁ができるということで、人々から敬われ、女王としての地位を築きました。
 ところが卑弥呼が死亡したといわれる248年に、皆既日食が起こったのです。
 皆既日食が起こったのは、卑弥呼の霊力が劣ったからである。王の霊力が衰えると、国力も衰える。これでは国が滅びてみんなが困るから、王には死んでもらおう、そして新しい王を即位させ、国が栄えるようにしようと考えて、卑弥呼は殺されたのではないかと考えられます。

 その卑弥呼=天照大神が井沢説です。

 天照大神というのは大和朝廷、つまり今の天皇の先祖のような存在です。
 この天照大神というのは太陽神なので、岩屋に入ってしまうと世の中は真っ暗になります。
 そうするとみんな困るので、人々は岩やの前に集まり音楽を奏でたりして岩屋からでてもらうように努めました。
 そして大神が岩屋から姿を現し、再び世の中は明るくなりましたというお話です。

 この天照大神が岩屋に入って、再びでるというのは、248年の皆既日食をモチーフにしたのではないかと言うのです。
 つまり岩屋に入った天照大神は、卑弥呼であり、再び現れたのは、リニューアルされた女王である壱与ではなかったかというのです。

 もしそうなら、卑弥呼は天皇制の原点であり、邪馬台国は、大和朝廷の元になります。
 さて、真相はいかに?

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