遠州FW -16-
令和5年12月10日、いつものメンバーで、遠州にFWに行ってきました。その様子を数回にわたってお知らせします。
諏訪原城の3回目です。
場所の確認。右上の○印です。
空から見てみましょう。
前々回紹介した古図です。
復元想像図です。
解説板は充実しています。
文字起こしをしてみましょう。
大手曲輪は、 諏訪原城の台地側前面に方形に突出した曲輪で、その位置や構造から、 最終段階の改修工事に際し、 新たに付設されたと考えられる。
大手曲輪は、大手北外堀と大手南外堀によってコの字型に囲まれ、 古絵図では、西側前面に巨大な丸馬出と三日月堀が描かれている。 この三日月堀の一部が、 平成2(1990)年の発掘調査で確認され、その存在が証明された。 平成23(2011)年度、大手北外堀の発掘調査によって、 断面形状が逆台形の箱堀であることが判明した。 堀幅は、 約5m、深さは大手曲輪側で約6mであった。 惣曲輪側の堀の法面では、 堀を掘削する段階で足場として使用されたと考えられる幅約50cmのテラス状の遺構が確認された。 大手曲輪側では上面は削られてはいたが、堀を掘った残土 (牧の原礫層) で構築された土塁を検出している。
大手曲輪は、大手北外堀と大手南外堀によってコの字型に囲まれ、 古絵図では、西側前面に巨大な丸馬出と三日月堀が描かれている。 この三日月堀の一部が、 平成2(1990)年の発掘調査で確認され、その存在が証明された。 平成23(2011)年度、大手北外堀の発掘調査によって、 断面形状が逆台形の箱堀であることが判明した。 堀幅は、 約5m、深さは大手曲輪側で約6mであった。 惣曲輪側の堀の法面では、 堀を掘削する段階で足場として使用されたと考えられる幅約50cmのテラス状の遺構が確認された。 大手曲輪側では上面は削られてはいたが、堀を掘った残土 (牧の原礫層) で構築された土塁を検出している。
大きな堀です。
いよいよ二の曲輪中馬出の三日月堀です。
文字起こししてみましょう。
諏訪原城の馬出は、広大な台地上からの敵方の攻撃を想定し、台地側にのみ7ヶ所構えられ、すべて半円形で前面に三日月堀を持つ「丸馬出」である。中でも、 南北に配置された長さ50mにも及ぶ巨大な2基の馬出が防衛ラインの拠点であった。 二の曲輪北馬出は最北端に位置し、南側二の曲輪中馬出と土橋で接続する 「重ね馬出」で、北側の防備を固めるために付設された曲輪になる。 平成20年度に実施された発掘調査で、門の柱を乗せた礎石や扉を止める門止め石が確認された。 曲輪の西側縁辺部及び、 中馬出へと続く通路西側で土塁の基底部も検出された。調査に伴い、 笄や染付碗の破片が出土している。平成29年3月、 発掘成果などを基に検討を重ね、城内の樹木を一部利用して、徳川氏時代の城門(薬医門)を復元した。
復元した城門(薬医門)です。
敵が槍を挟んでも門が閉まるように、中央が空いています。
見事な富士山が見えました。
動画を見てみましょう。
【 お城のジオラマ 】春風亭昇太師匠も大好きな諏訪原城!ジオラマで再現してみました【 鍬匠甲冑屋 】
明日に続きます。
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