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静かに変化するパワーバランス、中国観の調整を迫られる日本

2011-01-11 06:22:38 | 社会科関連情報
昨日の人民網に興味深い記事がありました。

「静かに変化するパワーバランス、中国観の調整を迫られる日本」

歴史的に日本の中国観をとらえています。

一部紹介します。

-------以下引用-------
更新時間:14:18 Jan 10 201

(前 略)

日本人の中国観にはこれまで3回の変化があった。

最初の変化は唐朝の衰退後で、日本は894年に遣唐使を廃止した。

2回目の変化は足利義満の時代で、1373年に明朝が京都に使節団を派遣し、足利幕府は中国との外交を再開した。

そして1894年に清朝が甲午戦争(日清戦争)で日本に敗北したことで、3度目の変化が起き、日本人は中国を蔑視し始めた。

第二次世界大戦に敗れた日本人は一時的に中国を「アジアの強国」と見たが、こうした中国観はすぐに修正された。これは1960年代以降に日本経済が高度成長を遂げたのに対し、中国は「文革」の動乱で国民経済が崩壊の瀬戸際に追いやられたことによる。こうして日本人の中国観やアジア観は近代の原点に逆戻りした。

これら3回の変化を振り返ると、いずれも両国の国内の変化および国際秩序の再編と緊密に関わっていることが見えてくる。
また、パワーバランスの変化が観念の変化を招く核心的原因となっている。
日本の経済学者・長谷川慶太郎は著書「さよならアジア」で「明治維新まで中国は『聖人君主の国』と見なされていた。孔孟の道、すなわち儒教が日本の政治思想の基盤だった」「だがこれはとうに過去の物となった。戦後40年間で日本と日本人に余りにも大きな変化が生じたからだ。

一方、この40年間アジアの変化は余りにも小さかった。その結果、日本と日本人は決定的にアジアを離れた」「周辺のアジア各国は『夢の島』(東京のゴミ処分場)だが、日本はその中に高く聳える超高層ビルだ」と指摘した。
彼のこの話は福沢諭吉の「脱亜論」を想起させるもので、アジアを見下す日本人のメンタリティーがありありと示されている。

しかし、やはり正にパワーバランスの変化によって、前20世紀末から現在にかけて、日本人の中国観には4回目の変化が生じつつある。
日本人は新たな目差しで中国を見直し始めているのだ。
中国の経済発展と軍事力強化を前に、アジアのリーダーとしての地位の動揺を感じ、自信を失い、困惑し、中国とどう付き合えばよいかわからなくなっている人も多い。
中国に対する納得のいかなさ、懸念、不安、恐れ、焦慮など複雑な感情が日本社会を覆っている。
中国の将来に対して日本国内にはさまざまな見方があり、中国を中長期的脅威と見なす人も多い。

(中 略)

明治維新以来日本は常に東アジア、さらにはアジアの先導者であったため、近年来中国が経済成長を遂げて国際的な地位や影響力も高まっていることに、戦後奇跡的な発展を遂げた日本人は非常に複雑な感情を覚えている。

日本人は自らの未来に対して不安を覚え、自信を失い、自らの戦略的空間が狭まり、北東アジア地域の主導権が脅かされていると感じている。このため懸念や焦慮、そして危機感を覚えている。その裏返しとして、民族主義の感情的な反応が度々生じ、中国に対して「ノー」と言う人もいる。

今世紀初め、当時の小泉首相は中国人民の感情を顧みず、靖国神社を繰り返し参拝した。昨年日本当局は釣魚問題で無鉄砲な行動に出て、中国の漁船と漁民を違法に拘束した。これらはいずれも、この大きな背景の下で起きた典型的な感情的反応だ。


こうした現象は、日本の対中外交の位置づけに関する問題が未解決なことに由来する。

日本にとって中国が一体戦略的パートナーなのか、それとも戦略上警戒すべきライバルなのかという問題が未解決なのだ。今日の中国にどう対応するかという面において、日本は現在まさに長く困難な、国家の位置づけと民族心理の調整過程にある。(編集NA)

-------引用終わり-------

「中国の漁船と漁民を違法に拘束した」など、偏った表現もありますが、全体的には歴史的な眼で冷静に見ています。

全文は以下をご覧ください。

http://j.peopledaily.com.cn/94474/7255378.html

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