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さわやか中欧 見てある記 -9-

2019-09-01 05:53:12 | 取材・旅行


2019年8月21日から27日までの7日間、中欧4カ国(チェコ、オーストリア、ハンガリー、スロバキア)へ行ってきました。
自分にとっては初めの訪問なので、社会科教師としての最初の印象を80回にわたって書き留めています。
ただ、あまりにも短期間での訪問であり、現地の人への取材もわずかなため、あくまで主観的なものです。誤解や曲解も十分あり得ますので、引用にはご注意いただくと共に、間違いはご指摘いただけると幸いです。

今回は第9回 聖ヴィート大聖堂3です。
今回の視点もD 建築史

聖ヴィート大聖堂の中に入ってみましょう。

聖堂に入ると高さ33mという数字以上に高く感じる吹き抜けの天井に引きつけられます。アーチ状の天井には網状にリブ(助骨)が張り巡らされています。


ゴシック様式らしく高い天井の美しい大聖堂は、幅60m、奥行き124m、塔の高さは96.6m。


入口真上にある円形状のステンドグラス。ゴシック特有のフライングパットレス様式によって、壁を補強しながら嵌め込まれ「天地創造」の場面を表現しています。
このステンドグラスには約2万7000個のガラスが使用されており、まるで万華鏡の様です。

中でも有名なのが「聖キリルと聖メテオス」。

チェコを代表するアールヌーヴォーの画家、アルフォンス・ムハ(ミュシャ)の作品。
チェコにキリスト教を伝えた二人の聖人の生涯を描いています。
右が兄(メテオス)、左が弟(キリル)の他、チェコの守護聖人とも言われた聖ヴァーツラフも描かれています。
このステンドグラスはチェコ芸術の最高傑作と言われています。

他のステンドグラスもそれぞれすばらしい!













ここから3点は、「地球の歩き方」から引用します。
引用元は https://tokuhain.arukikata.co.jp/prague2/2017/10/post_2.html

内部の見学は、主聖堂の周りを時計回りに進む順路に従って回ります。
側廊には聖人や王の聖遺骸を納めた19もの礼拝堂が並び、祭壇の前にはハフスブルク王の墓、その右側には1736年に銀から作られた聖ヤン・ネポムツキーの墓碑、またこの聖堂の地下にもヴァーツラフ4世などが眠っています。


こちらが、その聖ヤン・ネポムツキーの墓。2トンの銀を使っています。

死後350年ほど後の1736年、ハプスブルク家のカール6世(マリア・テレジアの父・ボヘミア王在位1711-1740)の時代にウィーンの建築家と職人によって作られました。プラハを歩いていると、頭に星が5つ付いている、聖ヤン・ネポムツキー像をあちこちで見かけると思います。カレル橋にもありますよ。彼の話は長くなってしまうので、またの機会にしましょう。


1344年~64年にかけて造られた「聖ヴァーツラフ礼拝堂」

壁の上半分は聖ヴァーツラフの生涯が描かれています。壁の中央には、1373年にインドリヒ・パルレーシュによって作られた、聖ヴァーツラフのゴシック像があります。


巨大なパイプオルガンです。響きを聞いてみたいですね。

壁面や扉に彫り込まれた彫刻にも目を凝らして見ると、同じものは一つもなく非常に精巧に作られている事が分かります。


歴代の王がまつられたこのゴシック建築の大聖堂。
1344年にカレル1世の命により建設が始まりました。
元は929年に聖ヴァーツラフがボヘミアにおけるカトリックの総本山として建てたロマネスク様式の簡素な教会でしたが、14世紀半ば、カレル1世は簡素な聖堂を壮麗な大聖堂へ改修する様に命じました。

しかし、宗教改革の混乱などで、工事は中断や設計変更を繰り返し、完成まで長い歳月を費やしました。
そのため完成したのは、約600年後の1929年の事です。サグラダ・ファミリアと似ています。
結果的に、ゴシック、ルネッサンス、バロックなど異なる時代の建築様式が混在してしまいました。さらに、ムハを始めとする多くの芸術家や彫刻家が大聖堂の装飾を手掛け、聖ヴィート大聖堂は現在の美しい姿になりました。
まさに、時代を超えた総合芸術なのです。

その他の内部の様子です。










ハプスブルク家の紋章が入っています。








次回に続きます。次回は、再びプラハ城へです。

今回は、阪急trapicsのツアー「さわやか中欧」での旅行でした。感謝の気持ちを込めて、この名前をお借りします。

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さわやか中欧 見てある記 -1-
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ベトナム・ホーチミン みてある記 -1-  タイ・バンコク 見てある記-1-  シェムリアップみてある記 -1-  香港に来ています  台湾レポート-1-  平成25年度北方四島交流訪問事業 -古釜布湾-   さわやか中欧 見てある記 -1-   美濃 見てある記 -1-  みちのく三陸海岸 見てある記-1-

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