
おもしろい本を見つけました。『名古屋時代MAP-江戸尾張編-』です。
江戸時代の古地図と現代の地図(トレーシングペーパー)を重ね合わせて見られるよう工夫した、新しい発想の地図です。三都と呼ばれた江戸や大阪、京都にも劣らない繁栄を見せた名古屋。宗春のもとで独特な産業や文化を醸成した絢爛豪華な時代を伺い知る事ができます。
この地図を見ながら、古の街並みを思い浮かべながら歩くのはいかがでしょうか。
カバーの宣伝分を紹介します。(以下引用)
天下布武の拠点とせんと、信長が築きし那古野城。
時を経て、天下を奪いし家康が、太平の世の礎とすべく、清洲のまちをまるごと移し、新たに築いたは、金鯱いただく名古屋城。
流石は徳川御三家筆頭の尾張藩の城下。江戸や大坂、京都にも、負けず劣らず栄えゆき、繰り広げられたる絢爛豪華、時代大絵巻。 (引用終わり)
ただ、後半の説明では、私が見てもおかしいぞと思う部分があります。
明和高校が「明倫高校」になっていたり、岩倉城が中島郡になっていたりで、他の部分も心配になります。
それでも、全体としてとてもよくできています。ぜひ書店で手にとってご覧ください。
江戸時代の古地図と現代の地図(トレーシングペーパー)を重ね合わせて見られるよう工夫した、新しい発想の地図です。三都と呼ばれた江戸や大阪、京都にも劣らない繁栄を見せた名古屋。宗春のもとで独特な産業や文化を醸成した絢爛豪華な時代を伺い知る事ができます。
この地図を見ながら、古の街並みを思い浮かべながら歩くのはいかがでしょうか。
カバーの宣伝分を紹介します。(以下引用)
天下布武の拠点とせんと、信長が築きし那古野城。
時を経て、天下を奪いし家康が、太平の世の礎とすべく、清洲のまちをまるごと移し、新たに築いたは、金鯱いただく名古屋城。
流石は徳川御三家筆頭の尾張藩の城下。江戸や大坂、京都にも、負けず劣らず栄えゆき、繰り広げられたる絢爛豪華、時代大絵巻。 (引用終わり)
ただ、後半の説明では、私が見てもおかしいぞと思う部分があります。
明和高校が「明倫高校」になっていたり、岩倉城が中島郡になっていたりで、他の部分も心配になります。
それでも、全体としてとてもよくできています。ぜひ書店で手にとってご覧ください。
文中に「信長が築きし那古野城」とありますがこれはどう解釈しますか。信長は築城はしてませんので違う意味合いでしょうか?
那古野城はもともと今川の出城で、後に父・信秀が居城にしました。
ただ、当時の城は、「土・成」と書くように、土塁で囲った程度のもの。
特に父の時代には家臣も半農でした。
信長が家来の武士団を育てていく中で、那古野城を補強した可能性は高いと思われます。