これはおもしろい!
『逆説の日本史』シリーズは、週刊ポストに連載されているもので、単行本も15巻まで出ています。独自の史観がおもしろく、これまでの歴史観が大きく変わってきます。
独自の史観なので当然批判する人もいるのですが、それも議論があってこそ深まるもの。批判されるという事は認められているという事の逆説なのです。
井沢氏は、「実証主義」「資料中心主義」を批判し、人間としての行動原理で考えています。たとえば怨霊・呪詛、天災への畏怖、経済感覚など、時代こそ異なりますが、「人」としてもっている感覚を大事にしながら史料を読み解いていきます。
もちろん、部分的には「そうかな?」という部分もあります。しかし、微細の積み重ねが必ずしも全体像を表すとは限りません。その大局を見る目は、これまでの学者の常識を変えるかもしれません。なぜなら、多くの学者は、たとえば考古学の専門家、日本書紀の専門家など、狭く深い人たちばかりです。歴史を広く見たときに、見えてくるものがあるかもしれません。それが、司馬遼太郎であり、松本清張であり、井沢元彦なのです。
『ビジュアル版 逆説の日本史2』は、「聖徳太子は実在しなかった」を徹底検証、という見出しがトップに来ています。以下、第2章:十七条憲法と「わ」の精神の源流、第3章:法隆寺「秘仏の謎」を解読、第4章:東大寺大仏殿に秘された平城京の深層…と続きます。
詳細は、ぜひ店頭で手にとってご覧ください。
『逆説の日本史』シリーズは、週刊ポストに連載されているもので、単行本も15巻まで出ています。独自の史観がおもしろく、これまでの歴史観が大きく変わってきます。
独自の史観なので当然批判する人もいるのですが、それも議論があってこそ深まるもの。批判されるという事は認められているという事の逆説なのです。
井沢氏は、「実証主義」「資料中心主義」を批判し、人間としての行動原理で考えています。たとえば怨霊・呪詛、天災への畏怖、経済感覚など、時代こそ異なりますが、「人」としてもっている感覚を大事にしながら史料を読み解いていきます。
もちろん、部分的には「そうかな?」という部分もあります。しかし、微細の積み重ねが必ずしも全体像を表すとは限りません。その大局を見る目は、これまでの学者の常識を変えるかもしれません。なぜなら、多くの学者は、たとえば考古学の専門家、日本書紀の専門家など、狭く深い人たちばかりです。歴史を広く見たときに、見えてくるものがあるかもしれません。それが、司馬遼太郎であり、松本清張であり、井沢元彦なのです。
『ビジュアル版 逆説の日本史2』は、「聖徳太子は実在しなかった」を徹底検証、という見出しがトップに来ています。以下、第2章:十七条憲法と「わ」の精神の源流、第3章:法隆寺「秘仏の謎」を解読、第4章:東大寺大仏殿に秘された平城京の深層…と続きます。
詳細は、ぜひ店頭で手にとってご覧ください。