今日、3月10日は新聞休刊日なので、昨日のコラムを紹介します。
・ 東京・隅田川にかかる言問橋は…
東京・隅田川にかかる言問橋(ことといばし)は東京大空襲の際、おびただしい人命が失われた場所だ。1945年3月10日未明、米軍機による焼夷(しょうい)弾の大量投下に伴う火災から逃れた人々が殺到する中で、橋は猛火に襲われた
▲惨事を伝えるものに画家、狩野光男さんの作品がある。当時14歳の狩野さんは隅田公園に避難し、言問橋の炎上を目撃した。体験を元にした絵画には欄干に張り付く人たちや、川に飛び込む人が描かれる。「昭和館」(東京都千代田区)のオーラルヒストリーには、「橋が燃えているように見えたのは、荷物や人間に火が燃え移ったためだった」という狩野さんの映像証言がある
▲約10万人が犠牲になった東京大空襲と前後して、市街への空襲は全国に広がる。戦時中の政府は防空法の下、避難よりも消火に努めるよう国民に義務づけていた。焼夷弾を過小評価し「空襲恐れるに足らず」という虚構が押しつけられた
▲民間人を標的にした無差別攻撃と、避難の軽視。命が軽んじられ惨禍を広げた80年前の全国での空襲である。体験者の高齢化が進む中で証言の記録や、資料の発見など地道な作業が民間、自治体で続く。ただし、国による体系的な資料収集や調査研究は行われていない
▲米軍で東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイ司令官には64年、航空自衛隊育成に貢献したとして勲一等旭日大綬章が授与された
▲一方で、空襲被害者の救済を求めた議員立法はまだ制定実現をみていない。「3・10」は決して、過去の話ではない。