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女帝斉明天皇の陵墓と特定  奈良・牽牛子塚古墳

2010-09-10 06:35:19 | 社会科関連情報
社会科がらみのニュースです。
斉明天皇と娘の間人皇女の合葬墓とほぼ確定されました。

----------以下引用----------

大化の改新で知られる中大兄皇子(天智天皇)の母斉明天皇(594~661年)の墓との説がある国史跡・牽牛子塚古墳(奈良県明日香村)が、7世紀中ごろから8世紀初めの天皇家に特有な八角形の古墳と分かり、村教育委員会が9日、発表した。研究者は日本書紀の記述に照らし、斉明天皇と娘の間人皇女の合葬墓との見方でほぼ一致、事実上、特定された。

墳丘を八角形に取り囲む珍しい石敷きが見つかり、天智天皇や弟の天武天皇の墓など数少ない八角形墳と判明した。宮内庁が管理する斉明陵は同県高取町の別の古墳だが、学術的根拠に乏しかった。指定外の牽牛子塚古墳における被葬者特定は、陵墓指定や天皇陵研究にも影響を与えそうだ。

調査では、墳丘の外側を八角形に取り囲む石敷きが3辺分見つかった。うち1辺(9メートル)はほぼ完全な形で残存。幅1メートルで、ブロック状の石が寺の石畳のように敷き詰められていた。



墳丘は過去の大地震でほぼ崩れていたが、築造時は3段重ねで、斜面は約7200個の白い石で飾られていたとみられる。同じく八角形の天武・持統合葬陵に似ている。

(文・写真とも岩手日報より)
--------引用終わり-------

八角墳は、古墳時代の終末期(7世紀中葉〜)につくられた正八角形の古墳です。

京都市の御廟野古墳(現・天智天皇陵)や奈良県高市郡明日香村の野口王墓古墳(現・天武・持統合葬陵)などが有名で、牽牛子塚古墳もその関連の人のものと言われていました。

前から可能性が高いと言われた斉明天皇なら納得です。

八角墳の意味は、中国の八角形が天下八方の支配者にふさわしいという思想の影響だと考えられます。

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