「信長への怨恨」でも「黒幕がいた」でもない…最新研究でわかった明智光秀が本能寺の変を起こした本当の理由
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本能寺の変の原因は「明智光秀の怨恨」ではない
最も有力とされる「四国説」
織田信長が行った手のひら返し
四国征伐=明智家の存亡の危機
最新研究でわかった信長の行動の真意
「『石谷家文書』によって、織田信長と長宗我部元親との国分条件に係る交渉過程において、天正9年(1581)冬、安土において長宗我部元親を巡って、長宗我部元親を悪様に罵る讒言者と近衛前久・明智光秀との間で争論が行われていたことが明らかとなった(また、本能寺の変後に近衛前久が、織田側から光秀との共謀を疑われたが、その理由は、この争論で長宗我部元親を擁護したためであった)。
信長は讒言者の意見を重視して、一方的に東四国から元親を排除する措置に出た。この讒言者について、本稿において、信長の側近で堺代官の松井友閑であることを明らかにした。すなわち、光秀は松井友閑に外交面で敗北したのである」