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「付家老」はご存じですか?

2014-04-08 05:20:27 | 社会科こぼれ話
昨日、犬山市で話を聞いていたら、田辺の小学校が、付家老のつながりで、犬山へ修学旅行に来るという話を聞きました。
その付家老はご存じですか?

まずは、一般の「家老」とは?

武家(大名家)の役職の1つで、家臣団のうち最高位の役職です。
複数人いて、合議によって政治や経済の面で大名を補佐しました。その代表が筆頭家老です。

たとえば、上杉景勝の頃の上杉家の筆頭家老が直江兼続で、調所広郷や小松帯刀は島津家の家老です。

江戸時代には、城と江戸屋敷それぞれに家老がいました。


それでは、「付家老」とは?

付家老とは、将軍家の子が藩主になった時に、将軍より直接派遣されて附属した家老です。
なかでも、家康が尾張・水戸・紀州へ送った子の補佐役として、側近の家臣であった五家が有名で、「御附家老」ともいいます。

具体的には、尾張家が成瀬家と竹越家、紀州家が水野家と安藤家、水戸家が中山家の五家を指します。

成瀬氏は家康の側近中の側近でしたが、前任の平岩氏に子がなく、乞われて尾張徳川家に付けられました。そして平岩氏に替わり、犬山城を与えられました。


家老ほどではありませんが、「番頭」という高い役職もありました。

江戸幕府にあっては大番頭と呼ばれ、通常は江戸城大手門をはじめ、江戸城の警備隊長の役目を果たしています。
また、いざというときには、騎馬隊指揮官(侍大将)として、番方(軍事部門)で最高の役でした。
そのために5000石以上の旗本または、1万石クラスの譜代大名から複数が任じられた。
江戸町奉行や大目付が3000石級なので、位の高さが分かります。

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