週刊朝日百科 仏教を歩く [改訂版]11号は明恵です。
「みょうえ」と読みます。
明恵(1173‐1232)は鎌倉前期の華厳宗の学僧です。
紀伊国有田郡石垣荘吉原村(現,和歌山県有田郡金屋町)の生まれで、父は平重国,母は湯浅宗重の第四女ですが、8歳のときに母、ついで戦乱で父を失います。
これが、明恵に大きな影響を与えます。
9歳で母方の叔父の神護寺上覚に引き取られ、16歳のとき出家します。
東大寺戒壇院で受戒し、華厳・俱舎、密教、禅を栄西に学ぶなど、どん欲に学習します。
21歳ころに神護寺の別院栂尾山(十無尽院)に住み、寺僧間の争いを避けるために、23歳のとき故郷に近い白上峰に籠もりました。
建永元年(1206)には、後鳥羽上皇から栂尾の地をあたえられ、高山寺を創建しました。
そこでは、宋から栄西が持ち帰った茶の栽培でも知られています。
法然を批判した「摧邪輪」、自身の夢の記録「明恵上人夢記」が有名です。
本誌の内容です。
*あるべき姿に背くな 明恵
叡尊 忍性
◆明恵とはどんな人?
・釈迦に恋した遁世の聖
・明恵を慕い、救いを求めた尼僧たちの意外な顛末
◆明恵のことば
「あるべきよう」を追い求めた純真
◆明恵ゆかりの旅
・高山寺 明恵が愛した清々しき寺
・この地のおすすめ 明恵の「狗児」置き物
・国宝 仏眼仏母像
◆叡尊・忍性とはどんな人?
・十万人を率いた戒律復興の師弟
・心が貧しかったら、何の意味もない
◇叡尊・忍性のあゆみ
・[仏教 見る・聞く・ふれる]
巨大茶碗でいただく叡尊“元祖”の大茶盛式
・叡尊ゆかりの旅 西大寺 高潔の僧侶が復興した市中の根本道場
◆法話 仏教への誘い 瀬戸内寂聴
「三毒」貪・瞋・癡の毒に苦しむ私たち
◆梅原猛の新「授業・仏教」 梅原猛
明恵・叡尊・忍性 戒を守り、戒の復興を志した傑僧
…ほか
「みょうえ」と読みます。
明恵(1173‐1232)は鎌倉前期の華厳宗の学僧です。
紀伊国有田郡石垣荘吉原村(現,和歌山県有田郡金屋町)の生まれで、父は平重国,母は湯浅宗重の第四女ですが、8歳のときに母、ついで戦乱で父を失います。
これが、明恵に大きな影響を与えます。
9歳で母方の叔父の神護寺上覚に引き取られ、16歳のとき出家します。
東大寺戒壇院で受戒し、華厳・俱舎、密教、禅を栄西に学ぶなど、どん欲に学習します。
21歳ころに神護寺の別院栂尾山(十無尽院)に住み、寺僧間の争いを避けるために、23歳のとき故郷に近い白上峰に籠もりました。
建永元年(1206)には、後鳥羽上皇から栂尾の地をあたえられ、高山寺を創建しました。
そこでは、宋から栄西が持ち帰った茶の栽培でも知られています。
法然を批判した「摧邪輪」、自身の夢の記録「明恵上人夢記」が有名です。
本誌の内容です。
*あるべき姿に背くな 明恵
叡尊 忍性
◆明恵とはどんな人?
・釈迦に恋した遁世の聖
・明恵を慕い、救いを求めた尼僧たちの意外な顛末
◆明恵のことば
「あるべきよう」を追い求めた純真
◆明恵ゆかりの旅
・高山寺 明恵が愛した清々しき寺
・この地のおすすめ 明恵の「狗児」置き物
・国宝 仏眼仏母像
◆叡尊・忍性とはどんな人?
・十万人を率いた戒律復興の師弟
・心が貧しかったら、何の意味もない
◇叡尊・忍性のあゆみ
・[仏教 見る・聞く・ふれる]
巨大茶碗でいただく叡尊“元祖”の大茶盛式
・叡尊ゆかりの旅 西大寺 高潔の僧侶が復興した市中の根本道場
◆法話 仏教への誘い 瀬戸内寂聴
「三毒」貪・瞋・癡の毒に苦しむ私たち
◆梅原猛の新「授業・仏教」 梅原猛
明恵・叡尊・忍性 戒を守り、戒の復興を志した傑僧
…ほか