※関連した過去動画
動画の書き起こし版です。
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鄒衍は紀元前300年ごろの人で 天文学と、地理の洞察に優れていたと言われています。 斉の国で重用された後、燕の国の昭王の先生となり その後、前回解説した公孫竜の後釜として趙の国のブレーンとして登用されました。 彼の教えは『鄒子』『鄒子終始』として記されたと言われていますが、 その全てが失伝してしまっているため 大まかな思想の概要は史記の孟子荀卿列伝で確認するしかありません。 鄒衍は陰陽家の始祖と考えられています。 彼は人間社会しか見ていない儒教の思想を『視野が狭い』と否定します。 人間社会や中国大陸に固執するのではなく、 さらに外側の世界にも目を向けるべきだと主張したのです。 ちなみに、鄒衍は「儒家のいう中国は世界の1/81に過ぎない」と言ったとされます。 まだ世界のことが何もわかっていなかった時代において この視点はかなり鋭いものと言えるでしょう。 このようにして鄒衍は、中国に固執することなく外の世界に目を向けるわけですが その視点は宇宙の生成まで広がります。 そして宇宙の生成とこの世の法則を解明するために 【陰陽説】と【五行説】を融合させ【陰陽五行説】を作り出します。 陰陽説は万物が『陰』と『陽』で成り立っている。という思想です。 神話上の帝王である【伏犠】が作ったとされています。 宋の時代に作られた太極図はこの思想を可視化したものと言えます。 宇宙の始まりは、太極から陰と陽が別れることで起こり 陽の気が上に昇って天を生成し、陰の気が下に溜まって大地となる。 そうして『月と太陽』『裏と表』『夜と昼』『闇と光』といった具合に 自然界のあらゆるものは陰と陽の二つに分かれていて 一方がなければ、他方も存在しない。そんな思想です。 五行説は、夏の建国者である【禹】が考案したとされています。 万物は5つの元素から成り、お互いに影響を与えながら変化する。 このような相関関係の図を見たことがある方も多いと思います。 水は木を育て、木が燃えると火が生まれるような関係を【相生関係】 水は火を消す、火は金を溶かすような関係を【相克関係】と言います。 また、火を燃やしすぎるといつか消えてしまう。 水が多すぎると木は枯れてしまう。 そのような関係を【比和】と呼び、何事も行きすぎると悪い結果を生むことを示唆します。 このようにして5つの元素が強まったり弱まったりする中で そのバランスによって世界は成り立っていると考えるのです。 二つの思想を掛け合わせたものが【陰陽五行説】です。 これはビジュアルで見た方がわかりやすいでしょう。 こんな感じです。 陰陽五行説においては、宇宙の生成についてこのように考えます。 まずはじめに太極が陰陽に分かれる。 陰の特に冷たい部分が北に移動し水を生み 残った陰は西に移動して金を生む。 陽の中で特に熱い部分が南に移動し火を生み 残った陽は東に移動して風となり木を生む。 四方で余った気が中央に集まり土を生む。 こうして生成された世界は『陰と陽』×『5つの元素』の 組み合わせとバランスによって成り立っているとされます。 この思想は儒教や老荘思想に取り入れられることで その後の中国の医学・科学・占いなどの基本になりました。 そしてそれは道教や朱子学に強い影響を与えます。 飛鳥時代に日本に陰陽五行説が輸入されると、 その思想は道教の思想と融合し【陰陽道】として独自の発展を遂げます。 平安時代には陰陽道が天皇や公家の私的生活に影響を与える指針となり その流れでかの有名な安倍晴明が現れるのです。 それからしばらくは、陰陽道が政治に強い影響を与える時代が続きます。 江戸時代になると陰陽道に対する規制が始まり 政治への影響はなくなっていきましたが その名残は現在も年中行事や暦に残っています。 土用丑の日なども実は陰陽五行説が起源だと思うと 2000年以上前の諸子百家の思想が 自分と確実につながっていると実感できて 不思議な気持ちになりますね。
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