今日はコーチングセッションの日でした。
その中で未完了の話になったとき、自分にとって
未完了は必要な物なのかもと思いました。
ふつうコーチングのテーマとして未完了が出てくると
それをどうやって無くすかとか言う話なると思います。
その人の行動を阻害している「重し」のような未完了を
無くすことで身軽にし、行動を促進させるみたいな。
でも、未完了が全くない自分を想像した時、何とも言えない
不安定感のようなものを感じました。
自由に動けるけど安定しない、糸の切れた凧のような感じ。
未完了は増えすぎると、それこそ身動き取れなくなりますが
少しはあったほうが安定感があるように思いました。
ま、あくまでオイラの場合ですが。
その中で未完了の話になったとき、自分にとって
未完了は必要な物なのかもと思いました。
ふつうコーチングのテーマとして未完了が出てくると
それをどうやって無くすかとか言う話なると思います。
その人の行動を阻害している「重し」のような未完了を
無くすことで身軽にし、行動を促進させるみたいな。
でも、未完了が全くない自分を想像した時、何とも言えない
不安定感のようなものを感じました。
自由に動けるけど安定しない、糸の切れた凧のような感じ。
未完了は増えすぎると、それこそ身動き取れなくなりますが
少しはあったほうが安定感があるように思いました。
ま、あくまでオイラの場合ですが。