『明惠上人伝記』(平泉 洸全訳注 講談社学術文庫)の巻下は、秋田城介入道覚知、遁世して栂尾にすみけるころ・・。の書き出しではじまります。この秋田城介は安達景盛のことで、承久の乱時、明恵上人を捕縛し六波羅探題まで連れて来た縁で、明恵上人の高徳にふれ心酔した生涯をおくります。さて今回は、明恵上人の人となりを知るために、その言葉を抜き書きしてみました。まずはいただいた松茸のくだり。
●道人は仏法だにも好むと人に云わるるは恥なり。まして松茸好みなど云わるることのあさましきことなり。是を食すればこそかかる煩いにも及び候へ
次は糖桶を頂戴し、藤の皮をはがしさしだされた時のはなし
●糖桶は上を巻きたるこそ糖桶のあるべきようにてあるのに、あるべきようを背きたる
承久の乱時の上人が山中に逃げ込んだ人々を守る言葉
●この山(栂尾)は三宝寄進の所たるに依りて、殺生禁断の地なり。されば敵を遁るる軍士のからくして命ばかり助かりて、木の本、岩のはざまに隠れ居候ばんをば、・・。身命を奪われんことをかへりみぬことやは候ふべき
泰時のどうしたら生死の迷いから離脱できるか、裁判で私曲もなく道理のまま裁くのな罪にならいと思うがどうかの問い
●少きも理に違いて振舞う人は、後生までもなく今生にやがて滅ぶならいなり。其れは申すに及ばず、たとい正理のままに行い給うとも、分分の罪脱れぬことあるべし。生死の助けとならんことは思いも寄らぬ事なり
泰時の「どのような手段で天下を治めたらよいか」の問いかけに、病人に対する名医の処方を答える
●国の乱れて穏やかならず治まり難きは、何の侵す故ぞと、まず根源を能く知り給うべし。・・・。されば世の乱れる根源は、何より起こるぞと云えば、只欲を本とせり。この欲心一切に遍くして万般の禍となるなり。是れ天下の大病に非ずや。
他人がその教えを守らなかったらどうするのか
●其れ易かるべし。只太守一人の心に依るべし。・・・。この正しきと云うは無欲なり
この『明惠上人伝記』には、明恵上人があなたのように道理が分かった人が何ゆえに三人の上皇を配流したり、公卿たちを処罰したかの問いかけがあり、それに泰時が答える場面がありますが、その箇所は省略します。写真は高山寺の石水院の外観です。この建物は鎌倉時代に建てられた国宝であり、この伝記にも石水院の名前が出てきますので、ひょっとしたら明恵上人と泰時がこの屋根の下で語り合ったかもしれません。泰時が影響を受けた言葉は仏法ではなく、明恵上人が語る賢人の言葉だったと思われます。