人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る --常楽寺と文殊菩薩--

2022-10-11 19:47:38 | 日記

常楽寺では毎年1月25日に文殊祭が行われ境内は賑わいます。この文殊祭は常楽寺文殊堂に安置されている文殊菩薩坐像が年1回ご開帳される祭です。この文殊菩薩坐像は、常楽寺の開山である蘭渓道隆がその頭を宋から持ちこんだものと伝わっていますが、そもそもなんで文殊菩薩なのか?なぜ蘭渓道隆は文殊菩薩を自国から日本に持ちこんだのか?お恥ずかしながら、あまりよく調べもせずに今まで過ごしてきました。というわけで今回は文殊菩薩について調べてみました。

手許に『華厳経入門』(木村清孝著 角川ソフィア文庫)があります。その第十講「さまざまな教え」から第十二章「真実をもとめて」の章を参照して冒頭の疑問を解決する手がかりを探ってみました。『華厳経』は中央アジアにるタクマラカン砂漠南部で生まれたとされ、大乗仏教における重要な経典の一つです。仏に近づくための道筋が壮大な叙事詩なって展開されます。満天の星空のもとで一人の人間が仏に近づくことを願い考えた廬毘舎那仏・普賢菩薩・文殊菩薩・善財童子らが登場する求道の旅のドラマでもあります。

まず象に乗った姿で知られる普賢菩薩が登場します。その普賢菩薩の口の中に、仏の白毫からあまねく発せられる光のうち無礙無畏という大光明が飛び込みます。そこで普賢菩薩は無量・平等・無尽といった仏の真実の教えと、菩薩の知見である目覚めの心(正覚の知見)を説きました。

さらに第十二講の「真実を求めて」という章では、仏が「師子奮迅三昧」という瞑想に入ります。この師子奮迅三昧というのは、百獣の王たるライオンが四肢をまげて声をあげ、事をはじめようとする姿と比べられる深い瞑想を意味するようです。しかし菩薩たちはこの瞑想の世界で無量の功徳を完成させますが、まだシャーリープトラ(舎利弗・小乗での釈尊の弟子・智慧第一)らの声聞たちはその様子を見ることも聞くこともできませんでした。

次に師子に乗った姿で描かれていることが多い文殊菩薩が登場します。その文殊菩薩が南方へと旅立ち、シャーリープトラら六千人もの比丘らも同行を願い出ます。その途中での善財童子との出会い・・。奈良県にある安倍文殊院に渡海文殊群像(文殊菩薩・須菩提・維摩居士・善財童子ら)がありますが、まさにこの旅の様子を描いたものでした。そして善財童子の五十四の善知識を訪ねる求道の旅の話はよく知られています。五十二番目に出会う弥勒菩薩は、文殊菩薩への回帰を勧め、菩薩道の原点が発心にあり、再び文殊のもとに戻れと勧め、旅の最後に会う普賢菩薩は善財童子を菩薩道の完成へと導きます。この発心という言葉が大乗仏教では重要で、文殊の教えは、誰であろうと大乗の心を発して、どこまでもその実践に努めていけば仏になるという考え方です。

当然ながら奥深い華厳の思想のすべてを理解できるものではありませんが、なんとなく蘭渓道隆が自分と文殊の姿を重ね、その頭を携え、遠く日本に渡ってきた気持ちがわかるような気がしてきました。

写真は常楽寺の仏殿と文殊堂を写したものです。

 

 

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鎌倉を知る --神護寺の伝源頼朝像--

2022-10-01 15:56:20 | 日記

神護寺の国宝伝源頼朝像は日本史の教科書にも掲載されており、多少勉強した人なら知らない人はいないほど、有名な似絵です。ただ最近になってこの絵は源頼朝を画いたものではないという説があり、私も頼朝を解説するのにこの伝源頼朝像を封印して甲斐善光寺の頼朝像を使うようにしています。このことをご本家の神護寺はどう考えているのか?神護寺のホームページにその答えが掲載されていましたので、拾い読みしてみましょう。

そもそもこの伝源頼朝像は、後白河法皇が文治六年(1190)に御幸されるのに先立って、その2年前に仙洞院を建立し、建久三年(1192)の後白河法皇崩御後、有名な似絵が室内に掛けられ、『神護寺略記』によれば、後白河法皇以下5人の名前が明記されていました。中央が後白河法皇、その左右に源頼朝、平重盛、下座に平業房、藤原光能で、いずれも視線を法皇に向け、お仕えする形に配されていたようです。このうち、法皇像は室町時代の写し、業房像は現存していません。さてここから異説の話。

近年新聞などにY氏(HPには本名が記されている)発表の新説が掲載され、十分な検証もなく、ある出版社などは足利直義像だと表記しているとのこと。実は私もこれを信じ、足利直義を説明する際に使おうとしていました。幸いまだ説明する機会はありませんが・・。神護寺はこの新説を否定し、この伝源頼朝像の表記を変更する必要はなく、製作時期も13世紀初頭をくだらいないとしています。

しかしY氏は、妙智院所蔵の無等周位筆「夢窓疎石像」を取りあげ、表現が似ている点をとらえ、『東山御文庫』文にある足利直義が康永四年(1345)に尊氏像とともに奉納したものだとしています。どうもこの説は十分に証明できるものではないようで、神護寺内外に尊氏、直義像が納められた記録がないことを根拠としています。さてどちらに軍配が上がるかよく分かりませんが、後白河法皇とともに掛けられた似絵であること、神護寺の再興に源頼朝は援助していること、文覚上人と頼朝との関わりなどから判断すれば、伝源頼朝像であって欲しいと思います。

さて神護寺の寺宝のなかに北条政子が文覚上人の弟子である上覚にあてた手紙がのこっています。その内容は、政子の子大姫と木曽義高の話で、大姫が義高のことを思い二十歳近くで亡くなり、そのお悔やみの手紙を上覚から受取り、その礼状だと、ホームページには紹介されていました。これも神護寺だから残っていたのでしょうね。やはり京都を学ばずして鎌倉は語れないと、つくづく思いました。

写真は神護寺の金堂です。ご本尊である国宝 薬師如来立像が安置されています。像高170.6cm、カヤの一材から彫出した一木造りの像です。参拝した時に私ひとりしかいませんでしたので、まじかでゆっくりとお薬師さんを拝むことができました。冊子でみると小さくみえますが、実際にみると、迫力ある容貌とどっしりとした体つきで、その姿に圧倒されました。

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鎌倉を知る --文覚上人と神護寺--

2022-10-01 12:19:12 | 日記

8月末の京都、奈良、高野山取材旅行では、栂ノ尾の高山寺から神護寺に行きました。高山寺から川沿いの道を歩き、神護寺山門までの長い石段を上ればたどり着きます。最後に訪れたのは5~6年位前でしょうか?京都一周トレイルの北山コースで鞍山から嵐山に行く途中に通り過ぎました。さてせっかくなので、神護寺のホームページなどから寺の沿革をおさらいしてみたいと思います。

神護寺は、平安京造営の最高責任者であった和気清麻呂が愛宕御坊の一つとして創建した高雄山寺がはじまりです。その後大同四年(809)に唐より帰朝した空海が入山(14年間住持をつとめる)し、天長元年(824)にはこの高雄山寺と河内に建てられた神願寺を合併して、神護国訴真言寺(神護寺)となりました。比叡山の伝教大師最澄も空海から真言密教の灌頂を授かっています。空海が去った平安時代には二度の災害のため、堂塔のほとんどが焼失しました。そんな神護寺の様子を見かねて再興に力を注いだのが文覚上人でした。『平家物語』にも当時の様子が記されています。

かの高雄に神護寺と云う山寺あり。これは昔称徳天皇の御時、和気清麻呂が建てたりし伽藍なり。久しく修造なかりしかば、春は霞に立籠めて、秋は霧に交り、扉は風に倒れて、落葉の下に朽ち、甍は雨露に侵されて、仏壇更に露なり。住持も僧も無ければ、稀に差しいる物とては、唯月日の光ばかりなり。

文覚上人が訪れた最初は仁安三年(1168)で年は血気盛んな30歳。その復興事業がうまくいかないので、ついに承安三年(1173)法住寺殿におもむき、後白河法皇に荘園の寄進を強要しました。そのやり方があまりのも稚拙・強引であったために、後白河法皇の逆鱗にふれ伊豆に流されました。ただ人生わからないもので、この伊豆で源頼朝に会い、親しい関係になるわけです。治承二年(1178)、中宮徳子の皇子出産にともなう恩赦によって赦免。寿永元年(1182)に再度、後白河法皇に復興を訴え、ようやく裁許を得ることができました。頼朝も寿永三年(1184)、丹波国宇都荘ほかを寄進。これらによって神護寺の再興は軌道にのりました。文覚が神護寺再興のシナリオを書いたものが文覚四十五箇条起請文で、神護寺の憲法として今も寺に残されています。この神護寺の復興と平行して東寺、高野山の大塔の復興にも携わっています。その後、源通親によって三年間佐渡に流されますが、その間に文覚が保護・指導していた平重盛の孫、六代(妙覚)も殺されてしまいました。さらに後鳥羽上皇の時、謀反の疑いありとして元久二年(1205)三度目となる対馬配流後、消息は途絶え、弟子の上覚の記録では鎮西で死んだことになっています。

鎌倉には僅かしかない文覚の足跡ですが、神護寺にはしっかりと残されており、時間がなく行けませんでしたが、境内には文覚上人の墓もあります。この度の神護寺の取材で文覚上人が伝説の人物から確かに存在した人物となりました。

写真は金堂から五大堂・毘沙門堂を写したものです。

 

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