大将陣山を下りたタカ長たちは帰りを急ぎます、と言いたいのですが、何となく(?)美耶さまの生まれ故郷の大小丸(おごまる)を訪ねることになりました。
その大小丸のグーグル画像です。画像中央が大小丸地区。大将陣山はこの画像の上、この中には入っていません。タカ長たちが歩いた林道も示されていません。
その大小丸に入って、道が三叉路になっているところに車を停めました。
南西方向はこのような感じです。山口県東部の山が見えていますが、特徴あるピークなないので山の名前を同定することは出来ません。
グーグル画像で見るように集落のまわりは山、山、山。その昔は右に見えるような幹線道路は無かったはずですから、今以上に山奥の集落だったはずです。
このようなところに人が住みつく。その人たちは事情があって人目につくところには住めない。そのように思考が広がって、ここは「平家の落人」が住みついた集落であると考えるのがタカ長の常。
もちろんこれはタカ長の独断で、このあたりの歴史を研究した結果のコメントではありません。
タカ長のコメントとは関係ありませんが、この方向には「平家ヶ岳」と言う山があり、その山には「平家屋敷跡」から登ります。
また、平家300騎の糞いっぱいになったと言われる「馬糞ヶ岳」と言う山もあります。その登山口が「秘密尾」だと知ると、色々な想像をしたくなります。
背後には地区の集会所もあります。一つの集落として機能していたことがしのばれます。
そこからもう少し先、グーグル画像に見える道が無くなるところまで行きました。
その先はこのような感じで、車では行けないようです。
美耶さまが子どものころ、島根県の方から白装束の遍路さんが歩いて来たことを記憶しているそうです。
グーグル画像に見える道の上端にあるのが赤い屋根の家です。家の前に車が見えました。
こうしてい見るとのどかで平和な集落ですが、過疎化の波は当然やって来て、ほとんどの人は町に出ているようです。
それでも週末などには帰って来て家を管理されているのでしょうか、外からの見ただけでは空き家と思える家はありませんでした。もちろん、崩れかかった廃屋もありません。そのことがとてもうれしく思われました。
錦の美耶さまはこの集落から標高差にして300メートルはある保育所や小学校に通学していたのですから、生まれながらの登山者とも言えます。
だから強いはずです。仲間たちを相手に「あいつらには負けない」と意地を張っているタカ長ですが、錦の美耶さまには喧嘩を売らないことに決めました。
タカ長のような「え~えとこのボンボン」(?)が太刀打ちできる相手ではありません。(笑)
大将陣山登山の記録です。
数字的にはこんなものでしょう。体感ペースと表示されたペースは違和感がありません。
山に登っても展望が期待できるのは「やぐらだき」だけ。その意味では少し不満の残る山かも分かりませんが、それでももう少し登られてもよい山だとも思います。
静かな山を歩きたい人には最高の山かも分かりませんよ。
その大小丸のグーグル画像です。画像中央が大小丸地区。大将陣山はこの画像の上、この中には入っていません。タカ長たちが歩いた林道も示されていません。
その大小丸に入って、道が三叉路になっているところに車を停めました。
南西方向はこのような感じです。山口県東部の山が見えていますが、特徴あるピークなないので山の名前を同定することは出来ません。
グーグル画像で見るように集落のまわりは山、山、山。その昔は右に見えるような幹線道路は無かったはずですから、今以上に山奥の集落だったはずです。
このようなところに人が住みつく。その人たちは事情があって人目につくところには住めない。そのように思考が広がって、ここは「平家の落人」が住みついた集落であると考えるのがタカ長の常。
もちろんこれはタカ長の独断で、このあたりの歴史を研究した結果のコメントではありません。
タカ長のコメントとは関係ありませんが、この方向には「平家ヶ岳」と言う山があり、その山には「平家屋敷跡」から登ります。
また、平家300騎の糞いっぱいになったと言われる「馬糞ヶ岳」と言う山もあります。その登山口が「秘密尾」だと知ると、色々な想像をしたくなります。
背後には地区の集会所もあります。一つの集落として機能していたことがしのばれます。
そこからもう少し先、グーグル画像に見える道が無くなるところまで行きました。
その先はこのような感じで、車では行けないようです。
美耶さまが子どものころ、島根県の方から白装束の遍路さんが歩いて来たことを記憶しているそうです。
グーグル画像に見える道の上端にあるのが赤い屋根の家です。家の前に車が見えました。
こうしてい見るとのどかで平和な集落ですが、過疎化の波は当然やって来て、ほとんどの人は町に出ているようです。
それでも週末などには帰って来て家を管理されているのでしょうか、外からの見ただけでは空き家と思える家はありませんでした。もちろん、崩れかかった廃屋もありません。そのことがとてもうれしく思われました。
錦の美耶さまはこの集落から標高差にして300メートルはある保育所や小学校に通学していたのですから、生まれながらの登山者とも言えます。
だから強いはずです。仲間たちを相手に「あいつらには負けない」と意地を張っているタカ長ですが、錦の美耶さまには喧嘩を売らないことに決めました。
タカ長のような「え~えとこのボンボン」(?)が太刀打ちできる相手ではありません。(笑)
大将陣山登山の記録です。
数字的にはこんなものでしょう。体感ペースと表示されたペースは違和感がありません。
山に登っても展望が期待できるのは「やぐらだき」だけ。その意味では少し不満の残る山かも分かりませんが、それでももう少し登られてもよい山だとも思います。
静かな山を歩きたい人には最高の山かも分かりませんよ。