ソクラテスとカントの哲学について
●ソクラテスの思想について
「問題なのはただ生きることではなくてよく生きること」それにはまず、自分が知っていることなど何もないことを知っていなければならない。ソクラテスはそれを知っていたからこそ知を愛し求めること、つまり真理を探究することこそが人間にとって一番重要なことだと考えた。
だから彼は、知らないことは何もないというような知識人と呼ばれている人に対して強い違和感を持った。そしてそのような知らないことまで知っているような振る舞いをする人々に、お前は無知だ、ということを議論しながら暴いていった。ところが、この行動は快く思われなかった。そしてソクラテスのこうした知を愛し求める姿勢を邪魔と感じたうちの一人であるメレトスによって裁判にかけられてしまう。若者を新しい神々を導入して、たぶらかしているという理由で。その結果、ソクラテスは死刑判決となってしまう。
これは不正な裁判であったがソクラテスは死刑を受け入れた。なぜなら、不正とはいえ、民主主義であり、言論の自由が存在したアテナイで起きた裁判であったから。この不正裁判、判決で死刑を受け入れるソクラテスに対し、友人のクリトンはこんなでたらめな裁判の判決を受けることなどないではないか、と説得しようとしたが、ソクラテスはこういった。「不正裁判による死刑だからといって、自分が不正行為によってその死刑から逃れたら、その瞬間に自分の今まで言ってきたこと、生きてきたことを否定することになると。」死刑になったからといってそうした考えは揺らがない。なぜなら、ソクラテスの知を追い求める態度は、こうした時間や他人の言葉に左右されない価値観(原則といってもいい)に立脚していたから。人間にとって命よりも大切なものは真理を探究すること。それを自分で否定するようなことは死刑を受け入れることよりも不可能なことだった。
不正な裁判による死刑判決だからといって、不正にその状態から自分が抜け出したら、自ら信じていた不変の原理原則を破ることになる。それは自分を自分で否定することと同じことだった。なぜなら、人生はただ生きることではなくよく生きること、という考えは死刑になる前も後も変わることはない原理原則だったからだ。もし、死刑を不正によって逃れてもその後は、ただ生きる事を意味することになる。だから、彼には不正によって死刑を逃れることなど不可能なことだった。人生をよく生きるには、他人のいう言葉や時間によって変わることのないような不滅の価値観があり、それを守って生きること。それは不滅であり自分自身に当てはまることだけでなく、人間に共通することだからこそ命より大切だとソクラテスは言い切ったのだと思う。この考え方には納得できる。
②講義内容を踏まえてカントの思想について書け
カントは外にものがあるということは証明できない事柄なのになぜ当然のように考えてしまうのだろうかと考えた。それを人間の認識によって説明した。
認識は経験によってなされる。対象が感性に働きかけて印象となり、感性によって対象を捉えた印象は悟性によって結合され認識される。これは、現代の科学で言えば、右脳が感覚的な部分をつかさどるのに対し、左脳が分析的いわば悟性をつかさどっていて物事を捉えているというのと同じでないかと思う。時代を考えると驚く。
さらにカントは、外にものがあるということは証明できない事柄なのになぜ当然のように考えてしまうのだろうかという問いに、それは人間に感性の形式である時間と空間が、悟性には12種のカテゴリーがアプリオリに備わっているからだとした。
●ソクラテスの思想について
「問題なのはただ生きることではなくてよく生きること」それにはまず、自分が知っていることなど何もないことを知っていなければならない。ソクラテスはそれを知っていたからこそ知を愛し求めること、つまり真理を探究することこそが人間にとって一番重要なことだと考えた。
だから彼は、知らないことは何もないというような知識人と呼ばれている人に対して強い違和感を持った。そしてそのような知らないことまで知っているような振る舞いをする人々に、お前は無知だ、ということを議論しながら暴いていった。ところが、この行動は快く思われなかった。そしてソクラテスのこうした知を愛し求める姿勢を邪魔と感じたうちの一人であるメレトスによって裁判にかけられてしまう。若者を新しい神々を導入して、たぶらかしているという理由で。その結果、ソクラテスは死刑判決となってしまう。
これは不正な裁判であったがソクラテスは死刑を受け入れた。なぜなら、不正とはいえ、民主主義であり、言論の自由が存在したアテナイで起きた裁判であったから。この不正裁判、判決で死刑を受け入れるソクラテスに対し、友人のクリトンはこんなでたらめな裁判の判決を受けることなどないではないか、と説得しようとしたが、ソクラテスはこういった。「不正裁判による死刑だからといって、自分が不正行為によってその死刑から逃れたら、その瞬間に自分の今まで言ってきたこと、生きてきたことを否定することになると。」死刑になったからといってそうした考えは揺らがない。なぜなら、ソクラテスの知を追い求める態度は、こうした時間や他人の言葉に左右されない価値観(原則といってもいい)に立脚していたから。人間にとって命よりも大切なものは真理を探究すること。それを自分で否定するようなことは死刑を受け入れることよりも不可能なことだった。
不正な裁判による死刑判決だからといって、不正にその状態から自分が抜け出したら、自ら信じていた不変の原理原則を破ることになる。それは自分を自分で否定することと同じことだった。なぜなら、人生はただ生きることではなくよく生きること、という考えは死刑になる前も後も変わることはない原理原則だったからだ。もし、死刑を不正によって逃れてもその後は、ただ生きる事を意味することになる。だから、彼には不正によって死刑を逃れることなど不可能なことだった。人生をよく生きるには、他人のいう言葉や時間によって変わることのないような不滅の価値観があり、それを守って生きること。それは不滅であり自分自身に当てはまることだけでなく、人間に共通することだからこそ命より大切だとソクラテスは言い切ったのだと思う。この考え方には納得できる。
②講義内容を踏まえてカントの思想について書け
カントは外にものがあるということは証明できない事柄なのになぜ当然のように考えてしまうのだろうかと考えた。それを人間の認識によって説明した。
認識は経験によってなされる。対象が感性に働きかけて印象となり、感性によって対象を捉えた印象は悟性によって結合され認識される。これは、現代の科学で言えば、右脳が感覚的な部分をつかさどるのに対し、左脳が分析的いわば悟性をつかさどっていて物事を捉えているというのと同じでないかと思う。時代を考えると驚く。
さらにカントは、外にものがあるということは証明できない事柄なのになぜ当然のように考えてしまうのだろうかという問いに、それは人間に感性の形式である時間と空間が、悟性には12種のカテゴリーがアプリオリに備わっているからだとした。