ライフで日立を撮影する機会があった。
ユージンスミスは日立の写真に満足しているわけではなかった。
そのため日立の写真を集めた写真集タイトルは『日本-イメージの第一章』だった。続きを示唆するタイトルだ。
ユージンスミスは漁村を撮りたがっていた。そして、あるとき、出版社を経営する元村和彦氏と会う機会があった。元村氏は、ユージンスミスにロバートフランクを紹介してもらうため会いにいったのだった。その時に元村からユージンスミスが聞いたのが、漁村ならば熊本県の漁村、水俣だった。大変な事件になっている漁村があると。ユージンスミスは医学や産業の写真を撮ってきたこともあり、高度成長の裏で起こっているテーマに興味を持った。医学と産業が背景にあるテーマに。
その後、アイリーンと出会い、日本に向かう。最初は、塩田という水俣に居を構えて撮影していたカメラマンが元村氏経由でユージンスミスを案内したそうだ。そして3年3か月の水俣の取材が開始する。
土方正志『ユージン・スミス 楽園への歩み』より。