3月9日 京都の呉竹文化センターに京響のファゴット、村中宏さんを中心としたリサイタルを聴きに行く。
最初に演奏されたのがファゴット村中さんピアノ矢野百華さんで
ドボルザークの「わが母の教えたまいし歌」
ちょっと前に京響でドボルザークの新世界からを聴いた時もそうだったけれど、彼の旋律はなぜか涙を誘うなと思う。
次にやはりファゴット村中さんピアノ矢野さんで
モーツァルトのファゴット協奏曲K.191が演奏された。
知り合いでアマオケでプレイしている方がモーツァルトは長調でも影が差す と言っていた。
本当にそうだなと思ったし そう思えるような演奏だった
あとケッヘル番号がまだ100番台のころのモーツァルトはバロック音楽と古典音楽の狭間のような音楽に感じられる部分があるなと思った。
次にピアノ ファゴットに加えてフルート中川佳子さんが入られて
バッハのフルートソナタBWV1035よりアダージョ マ ノン トロッポ とアレグロが演奏された。けれど 中川さんが京響の時とは雰囲気の全然違うドレスを着て入ってらして僕が緊張してしまったせいかどんな演奏だったか忘れてしまった。
どんなドレスだったかも忘れてしまったというか 緊張して目に入らなかった。
ただ、演奏に先立つトークで中川さんがヨハン セバスチャン バッハのことを「お父さんバッハ」と呼んでおられて そんな呼び方、初めて聞いたと思ったことは不思議に覚えている。
村中さんもなんとなく中川さんには気を使っておられる感じだったとか、そんな 余計なことだけ覚えているということは要するに僕が演奏に集中して聴けてなかったということだと思う。
次にファゴットとフルートでエイトル ヴィラ ロポスの
ブラジル風バッハ第六番が演奏された。
1938年第二次世界大戦に向かっている時代の作品。
聴いていてショスタコーヴィチを思い浮かべるような不安な要素が漂っている部分があるなと思った。
あと、これは特定の曲を聴いてというよりもリサイタル全体を通しての印象なのだけれど、
ファゴットの低音はチェロの低音に似ている、特に バッハの無伴奏チェロソナタで 例えばフルニエさんの演奏のように 低音をぐっと踏み込んで出すタイプの演奏における低音によく似ているなと思った。
次にファゴットのソロでモーリスアラール編 パガニーニの主題による変奏曲が演奏された。
これは凄い演奏だった。ファゴットのソロだけでここまでできるのかと思った。
次にまたピアノ ファゴット フルートのソロでチックコリア フルートとファゴットとピアノのためのトリオが演奏された。
途中で聴いたこともないような種類の音が聴こえてきたので目を開けたらピアノの矢野さんがグランドピアノのグランドの部分に手を突っ込んでピアノの弦を直接はじいておられたので驚いた。
ただ これは パガニーニを聴いた後だったので ジャズということもあり ちょっとリラックスして聴けたなと思う。
アンコールで
能登半島の舟こぎうたという感じで中川さんが紹介しておられた曲が演奏された。
演奏を聴いていて ラヴェルの ダフニスとクロエ 第一組曲の冒頭付近でフルートで最初に出てくるテーマ(ニンフたちのテーマ)を心に思い浮かべる場面が何度かあった。
家に帰ってきてからニンフを調べてみると それは水の妖精というようなことが書いてあったから舟漕ぎ歌のなかでニンフの主題を思い浮かべるのはあながち間違った感覚ではないかもと思った。
もちろん 音楽をきく感覚に 正しい 間違いはないとは思うけれど、、、。
村中さんがアンコール曲の作曲者の名まえを読み間違えて中川さんからするどく突っ込まれたことも印象的だった。
そして最後にグノーのアベマリアが演奏された。
ほとんど伴奏でバッハ平均律ピアノ曲集のプレリュードを奏でるピアノの音だけに集中してしまった。
やはりバッハはいいなと思った。グノーのアベマリアだけれど、、、。
四条の駅まで戻ってきて 四条駅で京都産業大学の看板が目についてしまった。
3月のお彼岸過ぎにはもうオープンキャンパスがある。
本当に 早くから動かないと学生が獲得できない時代になっているんだなと思う。
看板に描かれていた京産のキャンパスに立つ3人の女の子の後ろ姿はかわいかったけれど。
京産の出身のある子が、「勉強は嫌いやったけど 学校は好きやった」と言っていたことをふと思い出した。
まあ それもよくある話かなと思って。
逆に 勉強はよくできたけれど 学校は嫌いやったという人もいたりして 本当に世の中いろいろだなと思う。
それはともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように それを第一に願っていきたい。