硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

空き家。

2024-09-30 20:49:35 | 日記
東隣の家は空き家である。主がいなくなってもう何十年も時を経た。
僕が小さい頃、その家には、おばあさんとおじさん、おばさん、その長男さん、次男さん、長女さんとその子供2人が住んでいた。
おかあさんが勢いのある人だったので、いつもにぎやかだった。
外で遊ぶ幼い僕を時々温かく見守ってくれるいい人たちであった。

幼稚園に通い出した頃、長女さんと僕と同級生の男の子と2つ下の女の子が引っ越して行った。
小学校に上がるころ、長男さんは就職で遠い所へ行った。次男さんも、就職で遠い所へ行った。
小学校高学年の頃、訳の分からない事を言いだしていた。もちろん当時は認知症という概念もないから、幻覚をみて叫んでいるお婆ちゃんに「そんなのいないよ」と一生懸命に諭した。

しばらくしてお婆ちゃんが亡くなった。おじさんとおばさんだけになった。

中学生の時、勢いのあったおばさんが亡くなり、おじさんはがっかりして肩を落としていた。
高校に入ったころ、おじさんは体調を崩して、長女さんに頼ることになった。
僕が社会に出た頃おじさんが亡くなったことを聞いた。
そして、隣の家には誰もいなくなった。そして誰も帰ってこなくなった。

その家が崩れ始めている。どうやら中の柱が折れたらしく、家が傾き、板の壁をへし折り中の土壁が露出していて、ガラス窓も割れて、瓦屋根も崩れて屋根の一部に穴が開いている。

西隣の家も、もうすぐ空き家になる。

僕が物心ついた頃、すでに二人暮らしだったお婆ちゃん。僕が高校生の頃、和服の似合う旦那さんが亡くなったので、心配になった関東にいた息子さん夫婦が定年を機に引っ越してきた。
それから三人で暮らしていたが、3年ほど前に息子さんが亡くなり、奥さんとお婆ちゃんの二人きりになった。
何度も救急搬送されていたお婆ちゃんであったが、今年の冬。いつの間にか白寿になっていたお婆ちゃんは息を引き取った。
長い間献身的な介護をしてきた奥さんは、ようやく肩の荷が下りたのか、近いうちに家をたたんで、元居た関東へ戻るのだと言っていた。

たった50年の出来事である。



確信犯。

2024-09-22 14:25:23 | 日記
職場の人との雑談で、自治会をまとめている男性から「ゴミ出し」での問題を聞いた。

その人は戦後から発展し続けた住宅密集地に元から住んでいて地域の移り変わりを見続けていた人で、これまでにはなかったルールを無視したゴミ出しをする人が現れたことによって、自治会やその地域に暮らす人々の頭を悩ませることになった。
ルールを無視されると、担当の人がそのゴミを処理せねばならなくなり、とにかく迷惑を被っているそうである。

そこで、君のところはどうしているのかを聞かれたので、ルールを無視したゴミは手を付けず、自治会の担当の人がそのゴミに注意書きをした張り紙を張り、出した本人に回収してもらうことにしていると答えた。
しかし、僕の住んでいる町は、過疎化の進んだところで、ゴミ出しをするメンバーも限られているので、今のところ、それで機能しているのであるが、その男性の住んでいる地域とは人口が違いすぎるので参考にならない。

悪質なゴミ出しを阻止する為に、その人は自治会の皆と考え、ゴミ捨て場に監視カメラを設置したのであるが、そのルールを無視する人は、監視カメラが設置されているにも拘らず、ルール無視のゴミ捨てをおこなったのであった。
実際の映像も見せてもらったのであるが、解像度が低く人物の特定は難しそうであるが、話によると、どうやら「犯人」はその地区の人ではないようで、分からないままゴミ出しをしているのではなく、前日の夜に、分別もせずという意図をもっているのである。

そして、映像にぼんやり浮かぶ男性は容姿から推測すると、50~60代の男性であり、監視カメラに映ったところで分からないだろうという確信的な行動に見て取れた。

映像からでは特定できずにいると、「どうにかならないだろうか・・・」と漏らしていたので、その場にいた人たちといろいろ意見を出し合い、監視カメラを増やし多角的に撮影するしかないのではとの結論に至ったのであるが、そもそもである・・・・・・。

いい大人が、誰かに迷惑をかける事を分かっていながら、迷惑行為を働いているのである。
しかも、「ゴミ出し」という簡単な作業で、である。

話を聞いていて、ずっともやもやしていたのであるが、きっとこういう残念な人がこの社会をダメにしているのだろうと思う。

総裁選に思う事。

2024-09-15 16:43:56 | 日記
自民総裁選の様子をTVニュースで観ていると、石破さん、高市さん、小泉さんが次の総理大臣になるのではと報じられているけれども、やはりと言うべきかネットとの温度差に驚く。

ネットでは、TVや新聞に比べ、言論の自由度が広く、ネットにアクセスできる環境である人ならだれでも個人の意見を述べる事が出来るので、十人十色の意見が混じり合い論調が一括りにならないからだと思うけれども、TVや新聞は情報を集め調べ、報道する事で対価が発生する職業であるのだから、圧倒的な情報収集力の差があるはず。

でも、ネットの情報を修正できないのはなぜなのでしょうね。本当に訳が分かりません・・・・・・。

さて、今回の総裁選で9人もの立候補者が表れたのは、やはり、次のアメリカ大統領が誰になるかわからないからなのだろうなと思いました。
アメリカの方向性がはっきりしないこの状況下だからこそのチャンスなのでしょうね。

誰が次の総理大臣になるかは全く予想できませんが、僕個人が思う首相に持ってほしい方向性としては、ヨーロッパや中東での戦争に巻き込まれない姿勢を貫ける人が良いのではないかと思う。

それは、いくら耳障りの良い言葉を述べられていても有事になってしまえばすべてなかったことになるからです。

今、日本では社会問題が山積しているけれども、大きな戦争がはじまり、その戦争に巻き込まれてしまったら、防衛関係以外の問題はすべて先送りされ、徴兵制度が復活し、日本に住むすべての成人男性(もちろん海外からの移住者も含まれるだろう。海外からの移住者の窓口を広げたのはその可能性を見越しているからではないかと推測する。)は戦地に赴かなければならなくなるであろう。
そして、言論統制が引かれ、あらゆる情報が検閲され、食糧供給も制限され、エネルギーの消費も制限され、個人への監視が強まる。そして、言論より暴力が幅を生かす。そういう時代がやってきてしまうのではないかと思う。

これだけ個人主義が広まった社会を一夜にして専制主義に変革するのである。
そして、それをよしとするのであれば、覚悟を持って国に協力せねばならない。

もし、その危機を回避できるチャンスが私達にあるとすれば、次の総理大臣が決まり、解散総選挙になった時、投票権のあるすべての人々が投票権を行使することしかないのではと思う。

これは、あくまでも、個人的な妄想でしかないけれど、菅さんが進次郎さんを推していることから考えると、アメリカ大統領が誰になろうとも、柔軟に傀儡として機能し、日本はアメリカと共にあることを示す事が出来るからではないかと思う。

(Ⅹ)を観ていると、ウクライナ戦争は収集が付かなくなりつつあるように感じる。
もし、本格的に戦争が各国に飛び火してしまうなら、日本も、今のままでは高確率で大戦に巻き込まれてしまうのではないかと思う。


戦争を語る上で・・・。

2024-09-05 19:33:43 | 日記
ウクライナ戦争関連のSNSでは、相変わらず、親露派、親宇派と論調が分かれていて分断が起きていて同一する兆しもない。
これだけ情報が溢れているのになぜだろうか?

ロシアが国境を越えて軍事侵攻したとき、日本のメディアはこぞってそこに至る理由を報じることなくロシアが攻め入ったと報道した。
その結果、世論はウクライナ支持に傾倒したのであるが、日本のメディアは明治時代から国の発展と共に成長し、当初は正義もあったが、次第に軍に寄り添うようになり、戦後はアメリカと共に発展してきました。
つまり、大きな出来事などの都合の悪い真実は隠蔽し虚偽を伝えるといった手法が今もなお継続されているといえます。

しかし、現在ではネットという情報網があり、多方面からの情報がアップされるために、次第にメディアとの報道に齟齬が生じ始めました。
検索すれば、真実に近いところまで調べられることもあるようですが、それでも、人にはなぜか「自分が信じたいものを信じたい」という思考性がある為に容易に考え方を転換できません。

それによって、分断が生じてしまっているのだと思う。

また、戦争の善悪は容易に語れないはずであるのに、安易に善悪を決めつけてしまう傾向も見られます。

大東亜戦争においても、何故開戦に踏み切ったのか、なぜあれほどの犠牲を出しながらも戦い続け敗戦してしまったのかが、未だに明らかになっていません。
もし仮に、戦争が都市伝説的な謎の組織によって作り出されているとしたら、その組織が公に認められ、当事者の口から真実が語られなければ、善悪を決める事すらできません。

戦争は、殺し合いであり、侵略行為が始まりといえます。
そこには、思想的な正しさや、国や誰かを護る為に戦っている者もいれば、戦争にかこつけて私利私欲の為に非人道的行為を働く者もいるでしょうし、様々な側面から戦争が語られれば、善悪同じ分だけ語ることができてしまうでしょう。

正義と悪が混在している。それが戦争の事象なのだと思う。 

ウクライナ戦争においては現在進行形であり、メディアやネットを通してリアルタイムに情報を受けとる事が出来ていますが、それでも論調が割れるという事象は、戦争の善悪を決めることは難しいといえるのではないかと思う。

そこを踏まえた上で、戦場から遠く離れた日本で暮らす私達は、これからどうすべきかを考えてゆかなければ、日本もいずれ戦禍に巻き込まれてしまうのではないかと思う。