硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

居住地の変化を見て考えた事。

2024-11-13 11:20:03 | 日記
この歳になってようやく分かったことがある。

バブル経済の頃、僕の住む小さな町にもその波及効果が訪れようとしていた。
団地の誘致やゴルフ場の誘致である。

話は具体的に進んでいて、土地買収のための現金も地域の農協に保管されていて、公民館では住民との話し合いが何度も行われていたが、知らない人が住むことを拒絶する人や、山や田畑、美しい里山が荒れてしまうと、声を荒げる反対者とそれに同調する人々の働きが計画を難航させ、ついにはバブル経済の崩壊で土地開発の計画は消えてしまった。


そして現在。人口は減少し、空き家も増え、小学校も廃校。山や田畑は放置される所が目立ち、荒れた田畑や山にはソーラーパネルの姿が見られるようになった。

土地開発に反対していた人々は鬼籍に入るか、身体の老化によって田畑に出られなくなったことが原因で放置されることになったのであるが、荒れた農地をソーラーパネルに変換してしまった人の理由のほとんどが、「土地を買い取ってくれるから」であった。

ソーラーパネル設置における環境破壊のリスクなど関係ないのである。

開墾した田畑や植林した山が荒れてゆくことは自然の保全という意味では、望んだとおりになったのかもしれないが、残念ながらソーラーパネルを設置することを選択したのも土地開発を反対した人たちである。

そこに矛盾が生じてしまっているのであるが、当事者たちはそれを「時節や社会のせい」に転嫁して、何食わぬ顔をして過ごしている。

全員がそうともいいきれないが、田舎の年長者とは、おおむねそういう人達であった。